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エッセイ
ああ言えばこう言え!
目次
ああ言えばこう言え!その46
生徒も人間であれば、先生もれっきとした人間である。先生という職業を選択した以上は、できれば出来の良い生徒の指導をしたいと願うのは決して悪いことではない。運悪く、それほど出来の良くない生徒を指導することになっても、将来を悲観する必要など全くない。教室は舞台、指導は演技と割り切ると、結構面白く事が運ぶこともある。
私の知人の勤務する学校は、近隣の住民から「学校」と呼ばれずに、「ZOO」と呼ばれている。わたしも近所を通りがかったことがあるが、近隣の住民のこの的を得た評価には、心の中で思わず拍手喝采を贈ったほどである。しかし、勤務する先生はこの通称に真っ向から反対している。なぜなら、それではあまりにも「ZOOの住人たち」に気の毒であるというのがその理由だからである。しかし適当な呼称も見つからない。大変な事態である。とは言うものの、この学校に勤務する先生は、先生なりに結構楽しんでいるという。
例えば、授業にいくことを「オペに行ってきます」という。なるほど、厳しい叱咤激励は生徒にとって相当な痛みを伴うが、それによって人生が救われることもある。また個人的な指導を「カンファレンスに行ってきます」ともいう。また、しっかりとしたインフォームドコンセントを欠かすことはできない。説明に通常の何倍もの時間はかかるものの、同意を期待しながらの忍耐は、先生自身を人格的にも高めていく。相乗効果とはこのことであろう。
もちろん、オペもカンファレンスもインフォームドコンセントも何も出来ない先生は、その学校を静かに去っていく。気の毒な先生もまたれっきとした人間なのである。
甲山羊二
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