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エッセイ
ああ言えばこう言え!
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ああ言えばこう言え!その33

 小学生の時の夏休みといえば、ついついあの忌まわしい大量の宿題を思い出してしまうのは私だけではないだろう。
この年になっても、毎年お盆が過ぎたあたりから、夢でうなされることがある。部屋中に山積みされた宿題に追われるという悲惨な夢である。
もちろん、その日の寝起きは最悪である。

先日、お盆で家族一緒に帰省していた小学生くらいの子どもが、「これから宿題で大変です。でも頑張ります!」とインタビューに答えていたが、なんとお偉いお子様であろう。
私など宿題などまともにやった記憶がほとんどない。それでも、つい夢でうなされることがあるのだから、人間のトラウマとは恐ろしいものである。
宿題をやらなかった私が、夏休み明けの提出という高いハードルをどうやって越えてきたか、その一例はこうである。
まず、白紙のプリントと原稿用紙を提出する。次に、先生からご指名がかかる。ちょっと悲壮な表情で職員室に向かう。ここで決して笑ったりしてはいけない。あくまでも悲壮な表情を貫かなければならない。
先生はこう言う。「おいおい、ダメじゃないか。白紙はいけないぞ!」それに対して私はこう答える。
「何もかもがわからないんです。本当です。先生は先生でしょう。僕、先生に教えて欲しくて・・・。先生は先生だから、僕みたいなダメな子どもにもちゃんと教えてくれますよね?だって、先生は先生だもの」大体の先生はここで危険を感じる。
先生だって、毎日こんな訳のわからない生徒にまとわり付かれるために、わざわざこの職業を選択したわけではない。
危険を予見した先生は間違いなく逃亡してくれる。これが手である。
一方で、例外もある。折角白紙で提出したプリントと原稿用紙に、わざわざ『よくできました』のキャラクター検印を押された先生もいた。
これは白紙で誉められたという貴重な体験である。先生も人間なんだと親近感を覚えたことを今でも忘れない。
このように、忌まわしい宿題から逃れる方法はある。当然、そこには駆け引きというものが必要となる。駆け引きを覚えるなら、早い時期が良い。何より、宿題よりも駆け引きが大人への第一歩なのである。

甲山羊二
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