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エッセイ
ああ言えばこう言え!
目次
ああ言えばこう言え!その32
夏といえばビールである。いや、夏だけではない。秋のビールも情緒的で良い。冬も炬燵で飲むビールの味は人を安堵な気分にさせてくれる。
もちろん、春のビールにも味わいがある。冬を越えたというある達成感がビールの味をより美味しくさせてくれる。ようするに、ビールとは年間通して飲み続けることのできる心のオアシスなのである。
また、ビールは老若男女問わず飲むことのできる幸せの一品でもある。知人の老父などは、毎晩ビールをしこたま飲む。もう90歳近いご年齢であっても、ビールを買うのも飲むのも、自分の使命であり宿命だと思い込んでいる。
ところが、この老人の難癖はひとつの銘柄に固執するところにある。例えば「ぐびなま」という銘柄であれば、その銘柄を買い続ける。代用は許されない。「ぐびなま」がなければ、あるまで探し求める。
ある日、その「ぐびなま」を追い求めてスーパーの酒売場にやって来た。ところがお目当ての「ぐびなま」がない。本来あるはずの場所にないのである。
この老人のもうひとつの難癖は、場所に対する固執である。移動という概念がこの老人はない。老人にとって本来なければならない場所に「ぐびなま」ないのである。
さて、そこに店員が通りがかった。老人は店員を呼び止め「ぐびなま」があるのかないのかを問いただそうとした。
ところが「ぐびなま」という言葉が上手く出てこない。「なま」に付く頭の二文字が出てこないのである。老人は焦った。焦りは見事なまでの語形変化へと移っていく。老人が作り出した新しい銘柄に店員は慄いた。
その銘柄とはなんと「なまくび」だったのである。店員の驚きは察するに余りある。「なまくび」など、どの店のどの場所にもあるはずがない。
ところで、その老人の固執はさらに続いた。やっと手に入れた「ぐびなま」を持って意気揚々と帰宅した老人を、家人はいつものように玄関で出迎えた。
そこで老人は「くびなま」が入ったスーパーの袋を差し出して自慢げにこう言ったそうである。
「ほれ、『なまくび』だよ」
全くもってやはり夏である。
甲山羊二
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