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エッセイ
ああ言えばこう言え!
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ああ言えばこう言え!Ⅱその32

 最近は似非カウンセラーが大流行なご様子、カウンセリングという甘い言葉に魅かれて、その扉を開くや否や、こちら側について傾聴して頂けるどころか、逆にとことん相手の御説教を傾聴せざるを得なくなり、苦しさ倍増、病も倍増、遂に最悪の結果を迎えたなどという話を、あちらこちら傾聴する次第である。
 最悪なのは、学校カウンセリングである。人生経験豊富、もちろん学問を修め、その後の研鑽も怠らない。そうした御方がカウンセラーと名乗ることは、やぶさかなことではない。しかし、それとは真逆の、単に分掌としてその役割を担ったのみの若造に、カウンセリングなどできるはずもない。それこそ阿保セリングによる「害セリング」でしかない。
 挨拶ひとつできない馬鹿教師が、学校という特殊で特異な場において、偽のカウンセリングを堂々とやる。それはまさに偽善であり、悲劇であり、恐怖でしかない。生徒という未成熟なペットを扱う、相当にいかれた御主人様というのが、現状には最も適切な表現であろう。だから、今もなお学校という場は、社会的に真なる、或いは正当なる評価を得ることがないまま至っているのではないか。
 カウンセリングという言葉に、万能さを覚える御方は、どうぞ脳外科へ直行なさってくださいな。そこでのCT画像には、蝶が舞い、蜂が飛び、華美なお花様が一面を飾っているに違いない。カウンセリングは万能ではない。死を決意した人間を救うことなど、以ての外、そんなウルトラC級なことなど、100%できるはずもない。死を免れた人間は、そもそも真の決意に至ってなかっただけのこと、要するに口先だけの決意表明だった訳である。それを手柄のように吹聴する自称カウンセラーにこそ、普遍的学問と、そして体験に基づいた傾聴姿勢と、謙虚な共有による、本物のカウンセリングが必要なのではないか。
 非体験者が体験者の面構えで、偽カウンセリングを行う。そういうのは、藤山寛美大先生も吃驚仰天の、「嘘涙と大笑いの新喜劇」ということで、幕の内弁当と麦酒で観覧もいい。

甲山羊二
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