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エッセイ
ああ言えばこう言え!
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ああ言えばこう言え!Ⅱその29

 ディーリア・オーエンスの『ザリガニの鳴くところ』(早川書房)を読んだ。何しろ、タイトルが良い。ザリガニが泣くのか、それとも否か。そんなことはどうでもいい。兎にも角にも、素直に絶賛したい。何と素晴らしい小説なのだろう。翻訳も良い。これ以上の褒め言葉は、今のところ見つかりそうもない。
 オーエンスの本業は動物学者だ。しかも、小説は本著が初めての執筆だという。動物の生態をうまく散りばめながら、湿地を舞台にストーリーは進む。大きく動くのは主人公のカイアの逮捕からだ。無罪判決までの描写もまた克明に記述されている。読み進めていくなかで、著者の問いが徐々に迫って来る。人間の存在とは如何なるものなのか。人間は果たして万物の霊長たる存在なのか。そもそも、人間は生態系の一部であるのかどうか・・・。
 雄と雌の呼び合い。それと関わる厳しい生存競争。親と子との関わり。それらに秘められた生死と悲哀。生態系は人間が信じる程、慈愛に満ちたものではない。むしろ残酷で悲惨なものだ。慈愛の観点からであれば、確かに人間は万物の霊長に等しい。しかし、人間の心もまた実は残酷であり、悲惨なものなのではないだろうか。人種、出身、職業などなど、人間はあらゆる条件を勝手に付帯させて、同じ人間に対して貶めることを平気でやる。これが人間の真の姿である。綺麗ごとではない。
 さて最後に一言、この作品に嫉妬を覚える作家も多数いるに違いない。学べることは実に沢山ある。それ程に素晴らしい。オーエンスの次なる作品に大いに期待せざるを得ない。


甲山羊二
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