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エッセイ
ああ言えばこう言え!
目次
ああ言えばこう言え!Ⅱその28
久々に、夏目漱石の『こころ』を読んだ。時々、無性に開いて見たくなるこの作品、一体全体どこにそんな魅力があるのか、全く持って不思議な作品であることは間違いない。
ストーリーはおよそ陰湿なものだ。古いしきたり、粘質な人間関係、親類の裏切り、そして友人の自殺、兎にも角にも鮮やかさの欠片もこの作品からは見つけることはできない。
この作品について、僕の高校時代にこんな思い出がある。国語の先生への実直な質問だ。
「この作品に登場する先生という人物は、一体何によって生計を立てていたんでしょうか」
極めて素朴で、高校生らしい僕の質問に、先生は実に真顔で、次のように答えてくれた。
「明治は、実に優雅な時代そのものだったのよ」
明治時代・・・。そして、優雅な精神・・・。
今や、死語となりつつある「優雅」という言葉。
明治という封建的な時代にあっての、優雅な精神。この作品の尽きない魅力は、その精神にあるのかもしれない。作中の人物が、どれだけ狡猾であっても、それらが緩やかに描写されているのもその証拠となるのだろう。そう、まさに緩やかさ。これもまた、現代にはほとんどなくなりつつあるものだはないだろうか。優雅さと緩やかさ。僕たちが心のどこかで欲して止まないものが、『こころ』という作品には確かにしっかりと備わっている。
優雅さと緩やかさ。そこに、取り留めのない人間の「こころ」が、もつれるように絡み合っていく。なるほどと思う。読み継がれる作品には、欲して止まない何かが必ずある。
甲山羊二
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