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エッセイ
ああ言えばこう言え!
目次
ああ言えばこう言え!その22
私は忘れ物や落し物には殆ど無縁な人間である。
自分が所有するものが、どこにどの位置に、そしてどの順番にといったことは、自分なりの規定を設けてしっかりと管理している。
それは時に自分を苦しめてしまうこともあるが、その苦しみさえも管理しているから問題はない。
机の引き出しでさえも、中のものが移動しないように開け閉めの極意というものを会得している。だから、中のものが移動しているということは、私以外の何者かが無断で開け閉めをしたということになる。
それらについては、家族から「あなたは本当に病的なお方です」と指摘を受けるが、実は私は案外いい加減なところの多い人間である。
いい加減と病的なところが備わっているこのバランスこそが、まさしく民主的であると自負して止まない。とは言っても、私はかつて生涯忘れることのできない落し物事件を経験したことがある。
学生時代、生れて初めての一人暮らしに享楽していた私は、いよいよその延長線上のひとつである成人映画を鑑賞する為に、友人と数人で真夜中の映画館に向かった。
大画面に映し出される素晴らしい女体と邪魔な男体、館内に響き渡る艶かしい女性の喘ぎ声と耳障りな男性の溜息に似た声、生きていて本当によかったと心から実感したものであった。
しかし、良いことは長続きしないものである。断腸の思いでもって映画館を出た私は、しばらくすると何やら違和感を感じた。
ポケットにあるはずの財布が無いのである。館内に入る直前までは確かにあったのである。急いで映画館に戻った私は、館員に事情を説明すると、お借りした懐中電灯を照らしながら、自分が座っていたはずの館内の椅子付近を必死になって捜し始めた。
事情を察してか、付近のお客も皆応援してくれた。数分後、館内に響く女性の喘ぎ声がまさに絶頂へとなったところで、ようやく財布は発見された。応援してくれた人たちと握手を交わしたときの感動を、私ははっきり憶えている。まさにピンク繋がりである。
その夜は、館員の妙な計らいで、結局朝までゆっくりと鑑賞するという特権まで手に入れてしまった。「一石二鳥」とはこのことであろう。
以来、成人映画を鑑賞する際は、首から財布をぶら下げることにした。「失敗は二度と繰り返さない」これもまた鉄則である。
甲山羊二
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