怒濤の5月が間もなく終わる…
たぶん4月末にも同じ表現をしていたと思う
言い訳をすれば…
4月は教える仕事の環境が大きく変わったこと
締め切りの原稿が重なったこと
そこにウェブサイト月毎の更新
やはり怒濤という表現が合う
5月はといえば…
個人的なことも含めての色々な行事に追われた
それはそれで十分楽しかった
一方で辛さと戸惑いもあった
そんな時僕は思う
僕は目に見えない何かによってこの場所に配置されている
時間的にも空間的にも僕はそこに配置されることによって生きているし生かされている
だから全ての感覚を動員しなければならない
楽しいことも辛いことも戸惑うことも全てについて感じることが許されているのだと…
6月はどんな月になるのだろう
やっぱり僕は体ではなく心で生きているんだ
そう思える1ヶ月になりますように祈ろう |