MyBlog Ver1.40



甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


■公式ホームページ


読むこと読まれること
相も変わらず…

やはり相も変わらず僕の元には進呈本がどこからともなく送られてくる…

本は大切に保管するものの…

わざわざ批評することはない

読むことはとてもデリケートな行為だから…

だからぶしつけに送られてくる本を読むことはまずない…

例えば僕の作品を読むことは多分僕のことを知っているという理由が専らだろうと思う

だから僕はネットワークを駆使して自分のコマーシャルを自らの方法で続けるのだろう

「作家たる者がネットを駆使するとはいかがなものか…」

そんな批判をこれまでどれだけ受けただろう

だから同人誌なんて誰も相手にしなくなってしまったのだ

読むことはエネルギーがいる

読まれることは偶然ではない

コマーシャルという努力すらしないで読者不在を嘆くのは書き手の怠慢以外の何ものでもないはずだ
2011-08-17 09:52:28[87]


終戦の日
これが発信される頃…

僕は異国の地であらゆる見聞の真っ只中の予定


この原稿は出発前に予め書いておいたものと前置きをして


さらに戦後生まれの僕が終戦という言葉を用いることの後ろめたさを押し殺した上で…


独立した国でありながら自立を許されないもどかしさと…

歪められた自虐的な歴史観から未だ脱却できないどころか…

それを良しとしなければならない慣習のなかで生きなければならないやるせなさを思い


僕は英霊に頭を垂れるだろう


戦争は憎むべき敵だと思う…


けれども僕たちは何かに操られてはいないだろうかと問うてみたくなる…

あのアメリカの同時多発テロの際に僕は映像を見て恐れ震え打ちのめされた


同時になせが広島と長崎の原爆投下時の映像が重複して僕の目に写っていた

徐々に恐れは震えは消えた…


あってはならないと思いつつ…


日本を訪問したアメリカ大統領の誰が広島と長崎に足を運んだのだろうか…


誰が両手に花を携えてやって来たのだろうか…


おこがましいと感じながらも


終戦記念日という名称にどこか違和感を感じる

いつまで日本人は屈辱を押し殺し自虐的に生きるのだろう
2011-08-15 11:16:26[86]


須賀敦子
須賀敦子の文章は清楚だと思う…

一方で切れ味はとても鋭い…

何より感情の起伏がそのまま文章に形として表れていない

須賀敦子といえばイタリア…

そしてベネチァを思い浮かべる…

僕にとってイタリアは憧れの場所と言える…

もちろんそれは須賀敦子とは無関係ではない

彼女が翻訳した小説や詩集は僕の心を大きく動かしたし…

英米文学の範疇を越えるには十分な要件だった

文学を通して芸術にも触れた

本当のリンクとはこういうことだと思わされた

イタリアは古くて新しい場所

新しくて心地好く過去を彷彿できる場所だ…

この時期なぜか須賀敦子がとても羨ましく思うことがある
2011-08-11 09:44:34[85]


読書の真夏
読書の秋という…

ただし僕は違う

僕にとってゆとりの時間を持てるのは秋ではなく夏なのだ

だから僕にとって

読書に集中できるのは夏真っ盛りの時期ということになる

予定の本をどっさり買い込むのも楽しいものだ

明日から本格的な夏休みだ…
2011-08-08 14:45:26[84]


お客様を待たせる商売
「行列のできる店」なるものの人気が未だ理解できない…

日本人の辛抱強さを象徴しているなどと持ち上げる理由もまた皆目理解できないでいる

それは辛抱強さとは別だろう

余程暇であるのか…

或いは時間についての感覚が麻痺しているのか…

僕は客を平気で並ばせて待たせるような店には行かない…

待つのはお客の勝手と言わんばかりの態度が気に入らない

ある時どうしてもその店の蕎麦が食べたくて…

しかし流石人気店だけあってお客は並んでいた

その店の配慮は蕎麦等の豆知識を瓦版にして配布しているところにあった…

きちんと椅子もありさらに美味しいお茶も出た

待つのが苦にならなかった…

店の配慮は店の品格に結び付くのだとあらためて知った
2011-08-03 11:45:46[83]


やらせ
原発に関連していわゆるやらせの有無が問題になっている

僕はこの問題について語るのを避けたいと思う

語ればいや書けばコラムのネタには絶好だろう

だけど震災と同様に原発についても書かない…

やらせについても日本人の慣習ではなく人間の性とだけコメントしておく

やらせなんてどの国のどの組織にもあるのだ

良い悪いは別にして
2011-07-30 21:11:32[82]


夏休み続き
夏休みのもうひとつの楽しみは積ん読していたままの大量の本を片っ端から読めること


普段は興味の有無に関わらず読むことを半ば強制されることが多いものの…

長期の休みはその半ば強制からほぼ解放されるからいい…

さらに普段とは異なる環境に身を置きながらの読書は僕にとって十分な命の洗濯となる

早々に原稿を済ませると後は読書に勤しむ

その間のうたた寝もまたいい

太平洋を見ながら麦酒を飲む

来年はヨットを買おうかしら

免許もないくせに…

では船舶免許を取ろうかしら

船酔いするくせに…

読書を切り上げアドベンチャーの動物に会いに出かける…

帰りはやっぱり居酒屋に寄ってしまうのである
2011-07-28 12:52:54[81]


夏休み
僕にもちゃんと夏休みはある…

僕のように書くこと教えることの二足の草鞋を履くものにとっては夏休みを待ち望む気持ちは学生と何ら変わらない

もちろん夏休みでもいや夏休みだからこそ書くことに集中できる訳だから決して遊んでばかりいるということではない

それでもなぜか自由な時間が何倍にも増えた気がしてその分心のゆとりを満喫できる…

読書をしたり映画を見たり…

あるいは遠くに出掛けてみたり…

本当のゆとりとは人の好奇心をかきたててくれるものなのかもしれない
2011-07-25 11:59:43[80]


僕の書き方
先月から相次いで新作が各文芸誌に掲載された…

詳細は甲山ウェブサイトへ…

ところで作家にはそれぞれ独自の書き方がある

信念とまではいかないけれど

物への視点はそれぞれ異なる

視点が異なれば表現も異なる

そしてそれが作品において個性となって表れる

合評会などで他人の作品を批評したりされたりしても…

それは結局のところ各作家の持つ視点に対する批評になる

もちろん細部の言葉や表現のあり方に及ぶこともあるが…

さらに言えば作品あるいは視点の嗜好そのものが批評へと直結することさえ起こり得る

まるで趣味のようにことあるごとに批評を送り付けてくる作家も周りにいる

きっと暇なんだろうと考える

僕の視点が嫌いなら読まなければいいのにと思ってしまう

僕はそういう相手が嫌いだから批評は読まない

つまり僕は暇ではなくとても忙しい人間だから

だからゴミ箱にはそういう類いのものが溜まる
2011-07-19 10:59:30[79]


お店の選び方
僕の趣味のひとつに食べ歩きというものがある

もちろん曜日あるいは気分によって行きつけの店に行ったり行かなかったり

はたまた新規開拓を試みたり

特に新規でお店を選ぶ場合は実は僕なりの基準というものがしっかりとある

まず口コミや情報誌だけにに頼ることはしない

雰囲気から直感的に判断する

次に客を外に平気で並ばせるデリカシーに欠ける店などには絶対に行かない

時間は貴重な財産なのである

さらにチラシを配ってそこに割引きやサービスを掲載するのもご法度である

経費は食材に回すべきである

そして最後に…

僕は常連ずらが大嫌いである

行きつけのお店では偉そうにしてはいけない

便宜などを求めてはいけない

それに安易に対応する店には二度と行かない

何時でも何も変わらないことが僕にとって最高の便宜でありサービスだと思っている
2011-07-10 13:29:19[78]