MyBlog Ver1.40



甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


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理不尽の勧め
向田邦子の小説には父の存在が色濃く反映されている

そこにあるのはかつての極めて封建的な父の姿である

執拗な小言…突然の拳骨…仕事一辺倒…

彼女の小説にこんなひとこまがある

『娘は父のことが嫌いだった
ところが祖母の通夜の席に父が勤務する会社の社長が突然訪れた
父は社長に何度も繰り返しお辞儀をした
それは理不尽ともとれる父のお辞儀だった
平伏する父の姿に娘の気持ちは大きく揺れた
父はこうして私たちの知らないところで戦ってきたのだと思った
小言も拳骨も全て許す気持ちになっていた』


たしかに社会は理不尽だと思う

今までも今もこれからも、その理不尽さに傷つき続けるのだろう

おびただしい理不尽さに抵抗して、力でそれを覆したいという欲求に満たされることもなくはない

話は横道に逸れてしまうけれども…

阪神大震災の折りにフランクフルトを一本1000円で売り付けられた記憶がある

ビールとsetで1800円払った

食べたいとか呑みたいとかという気持ちからではない

理不尽な状況のなかで、事も無げにしかも堂々と理不尽なことをやってのける人間の姿というものを、しっかり焼き付けておきたいと思ったからだ

自分で自分の価値を貶める人間

社会にはそういう人間もいる

理不尽であろうと何であろうと、守るべきものを守るために、平伏しなければならないこともある

小説にある父の姿にはそれがうかがえる

だけど心はしっかり戦っている

理不尽さには心を強くするエキスがたくさんつまっているのかもしれない
2012-04-26 15:37:16[147]


古本屋流儀
古本屋巡りは僕の趣味のひとつでもある。

最近は量販店のような古本屋が目立つが…

申し訳ないけれども…そういう古本屋はどうも僕には馴染めない…

路地の奥でひっそりやっている古本屋

何やら店主の生活までこちらが心配してしまうような

そういう雰囲気の古本屋が僕のお気に入りである

そういうところなら「いいね!」を乱打したい気持ちにさえなってしまうからいけない

行きつけの古本屋はみなそういう雰囲気を持っている

そこでは全ての本が次の出番をゆっくり待っている…

ガサガサドヤドヤしていない

かつて人に感動を与えた実績なども吹聴したりしない

そのなかから取り出された本は何も言わずに静かに目覚めてから、僕の知らないところで準備運動を始める

そして僕が自宅に戻る頃にはその準備がすっかり出来上がっている

どんな本でも呼吸する

そんな呼吸を味わう

それが僕の癒しと活力になっている
2012-04-23 17:19:54[146]


ミルの楽しさ
僕はcoffeeを1日に5杯は飲む

行きつけのお店で飲めない時は、そこで焙煎したpackを使って飲む

休日は豆をミルでガリガリやる

ガリガリの分量は大体1週間分

時間にすると約1時間くらい…

ひたすらガリガリやり続ける…

実はこのガリガリは健康のバロメーターでもある

ガリガリが億劫だと思うときは、およそ体調が良くない場合が多い

ちなみに子どもたちを叱った後などは逆にガリガリは快調である…

ガリガリが終わるとよく冷えたビールをいただく

ミルは僕の健康で文化的な生活を支える優れものなのである
2012-04-16 11:30:02[145]


教壇からのmessage
繰り返すが4月は何かと慌ただしい…

それは書き手の立場としてというよりもむしろ教壇に立つ者の立場としてといった方が適切だろうと思う…

毎年同じように偉そうな顔をして講釈を垂れてはいるものの、実はこの時期心の中はひどく緊張している

たとえ環境は同じでもほとんどの場合は毎年相手が随分と異なる…

だからといって年度の頭に話すmessageが同じだとやはり脳がない
必須ならまだしも選択となれば学生はある意味ではお客様でもある…

これがまたとても厄介なのである

そこで今年度のmessageは次のようにしてみた

人間にとって表現とは生活そのものです。書くこと話すこと以外にも表現の仕方は数多く存在します。さらに表現には必ず創造を要します。創造とは知恵です。知識を知恵のうちに育まれていきます。さらに知恵はそれを活かさなければ滅びます。そして付け加えるならば、知恵はやはり受け継がれていくものです。残念ながら良い知恵も悪い知恵もです。そのために私たちは明確な視点を持たなければなりません。良いものと悪いものとを見抜く視点です。どうか、表現することを通して、本当に良いものを見抜く力を身に付けてください。偽物ではダメです。偽物ばかりに接していると、いつの間にか心の奥底まで偽物へと変化します。自分を本物のブランドへと変えるために前進していきましょう。

嗚呼、何という講釈だろうか。
お恥ずかしい限りでございます。
2012-04-11 09:41:56[144]


僕流の花見
昨年の自粛騒動から一転して…

今年は花見が大盛況のようだ

桜は美しいけれどもはかない

咲き誇る優美さを生とたとえるなら、散っていくさまは死である…

そういえば若い頃は花見と称して度々ドンチャン騒ぎを繰り返した

今となっては良い思い出だが…

ただし最近はそうはいかない

静かにほんとに静かに花見をやる

しかも自宅の庭で静かにやるのだ

家族とそしてちょっとした友人と…

間をもて余すかどうかのギリギリのところで誰かが何かを話し出す

そのうち居眠りをする者まで現れる

ここ最近の僕流の花見は極めてのんびりゆっくりダラダラとしていて、何かしら心地よさを感じるのだ
2012-04-09 12:41:53[143]


飲むこと食べること
あなたの健康のバロメーターとは?

これは間違いなく飲むこと食べること
それ以外に他には全く考えられない…

例えばちょとしたつまみでお酒を戴く
これなどは僕にとっては極上の至福の時であるのだが…

これを拒絶せざるを得ないような時が年に数回は訪れることがある

極度の疲労または風邪による発熱など

飲むこと食べることは健康に裏打ちされた行為である
特にここ最近は心底そのように思う…

さらにただただしゃにむに飲み食いすればいいというものではない

季節を感じさせる食べ物をちょっとした工夫をこらしていただく…
お酒も良いものをじっくりいただく…

菓子パンやおにぎりをなど食べながら歩くなどもっての他である…

注)そういえば随分前にカップヌードルを食べながら歩く若者に出会ったことがある(*_*)

飲むこと食べることはできるだけ贅沢でいたいと思う
それはそこに目一杯お金をかけるということではない

味わう時間をも大切にしたい
そういう意味の贅沢である
2012-04-05 16:49:34[142]


バージョンアップ
牧場小屋ブログがバージョンアップ

とはいっても見る側にとって大きな変化などないように思えるかも…

それでもその変化ははっきりしている…

何よりしっかり改行ができているのです

書き手は書くときのバランスを気にする

見えない変化としては…

投稿systemが変わった

僕は携帯とスマホを併用しているので、そのどちらからでも投稿が可能になった

これはとても大きいこと

ということで今日はこれまで

追記
facebookのお友達が増えた
2012-04-03 13:08:02[141]


ほうれん草
「この親にしてこの子あり&この子にしてりこの親あり…」

親を見れば子がわかるし子を見れば親がわかる…

挨拶ひとつできない親はやはりその子もできない

ほうれん草という言葉がある

実は野菜に由来するよく知られた喩えである…

報告 連絡 相談

相談するが報告がない

或いはその連絡もない

ここ最近そういう生徒や学生をよく見掛ける

本人に悪気はなくても周囲は呆れるばかりである

そんな時僕は思う

育ちが悪いのだ

ほうれん草は社会生活のビタミンである

ビタミンが足りないのだと 
2012-03-26 12:14:35[140]


政治と経済
作家は書くことが仕事である…

だから政治や経済についてコメントを求められても安易に喋るべきではない

喋るよりも書く…

とは言いつつも…

教壇の上から講釈を垂れることもしばしばだ…

この矛盾は如何

これは簡単明瞭

特定の政治家を後押しするような活動はしない

特定の企業を宣伝するようなこともしない…

つまり政治家や企業のスポンサーにはならない

これが僕流のスタンスである

金や意味不明な人の縁など一切気にかけない…

作家はあらゆる意味おいて奔放過ぎるくらいに自由でなければならないと僕は思っている

不自由などまっぴら御免だ…
2012-03-19 14:59:58[139]


予感的中
僕は占いを全く信じていない

かつて酔っぱらって何度か友人と嘘偽りのの占いを占い師にしてもらったことがある…

「売れない落語家なんです」

「曲に恵まれない歌手です」

などなど夥しい嘘偽りの数々

誰ひとりとして本当の僕を見抜いた占い師はいなかった…


ところで僕は自分のなかの予感については信用している…

つまり予感的中に関して高い確率を維持し続けているのだ

霊的という言葉はあまり使いたくないけれど…

簡単にいえば自分の気持ちが萎える相手には近づかないしそういう場所にも向かわない

悪い予感がする相手は工夫して遠ざけてしまう

場所については地図も見ない

結果をみてなるほどと思う…

予感は僕にとって十分なセキュリティなのだ
2012-03-15 10:00:13[138]