MyBlog Ver1.40



甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


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品格のない批評
作家稼業などを長くやっていると、時々全くもってだらしのない批評というやつに出会うことがある…

それも同じ稼業の人間がよこすものだから実になかなか興味深い…

どんな批評もする側は勝手である
電話であろうと、手紙であろうと、とにかく批評は勝手になされる

「僕がいうだらしのない批評とは、自分で自分の価値を貶めるタイプのものである」

読み手には作品の好き嫌いがある
だから僕の作品についてもファンもいればアンチもいる

極めて厄介なのは同業者が自分の価値を押し付けてくる時である…

限りなく透明に近いアホとしか言いようがない

そういうタイプに限って、何も反論されないことに、一抹の不安を覚えるらしい

必ず弁明の機会をこしらえてくるのだ

ところでそういう輩はだいたいどこにでもいらしゃる
僕は並行して先生業というものもしているが、ここにも砂利のごとくおいでになられる
こういう先生に教わる生徒は哀れである
そこには創造性の欠片もない

僕は他人の作品をむやみに批評などしない
どの作品にも味がある
そして書き手の思いがある…

味もなければ、思いもない…
価値のない批評を繰り返す人間の作品にはこれらが充満している…
もはや批評以前の問題である
2012-11-05 11:07:21[187]


優雅なるトマトケチャップ
「いったいトマトケチャップのどこがどんな風に優雅なんだろうか」

それではオムライスを想像したまえ

その頂上にゆったりと微笑みながら、さあお食べなさいと囁きかける、あのトマトケチャップの色を思い浮かべるのだ

あの色は赤色でも朱色でもなくて…
あれこそがトマトケチャップ色というものなのだ…

さてさて前置きはここまでにしよう

さて実を言うと…
来年1月に創刊される文芸誌「日曜作家」に連載予定のオムニバス小説の題名こそが、「優雅なるトマトケチャップ」の真の正体である…

ここには僕の大好きな音楽が登場する…
しかも少し意外なかたちでの登場となる

「日曜作家」に参加執筆することになった経緯については次回以降に


僕にとって生活する上でも書く上でも音楽は欠かすことはできない

それに今だから言える話として…
「音楽の世界で生きよう」と真剣に思った時もあった(因に10代…)

それからすぐにJAZZに出会った
京都の烏丸御池あたりの爆音Bar

オーネット・コールマン
ハービー・ハンコックなどなど

失恋する度に爆音に身を委ねた

40代後半になって少しは色んな意味で余裕も出来て、失恋の痛みもすっかり忘れて、でも時々懐かしく思い出す…

そんな中で構想を始めたのが今回の「優雅なるトマトケチャップ」だ

オムライスが人生だと考えるとトマトケチャップは若き日の淡い恋

いやオムライスが胸キュンでトマトケチャップは癒しのJAZZかも


淡い恋と胸キュン

あの頃は若かった

いまもそのつもりだけれど
2012-11-01 14:43:20[186]


好き嫌い
僕は聖人ではない
だから何かにつけて好き嫌いを主張する
当然好き嫌いは人間にも十分該当する…

もちろん相手に直接伝えることはない…
特に嫌いに相手に対してそのまま感情をぶつけるようなことはしない

そのような相手とはそもそも付き合わない
あるいは何も言わずに静かに去っていく

僕が最も嫌だと思う例は何と言ってもこういうタイプの人間である
「僕の知らない相手の悪口を平気で言う人間」

これにはほどほど参るし呆れてしまう…

僕は相手を全く知らない
にもかかわらず延々相手をひたすら罵倒する
挙げ句には同じ相手からのメールの文面まで読み上げる始末である

たった一度の人生である
鬱陶しい人間とは無駄な時間を過ごさない

たった一度の人生である
厚かましく気の合う仲間と時間を過ごす…

もちろん組織ではそうはいかない
そんなときは極めて丁重に振る舞う
それが人を見切るときのサインである

それが鈍感な奴にはわからないんだよな
2012-10-29 12:46:03[185]


悪人の長生き
善人は短命で悪人は長命である

それなら僕は確実に長生きする

なぜなら…
僕は心の中でおよそ良くないことばかりを考えているからだ

マナーの悪い老人に空手チョップを浴びせたり…
音漏れの激しいイヤホンを鋏でちょん切ったり…
マナーモードでない携帯を窓から放り投げたり…
悪質暴走自転車にいきなりブレーキをかけたり…

それに…
きれいな女性の着飾った向こう側を想像したり…

これまでに僕はもう何度も罪を犯しました(>_<)

よって甲山羊二は悪人である

では僕はいったいいつまで悪人でいられるのだろう
出来れば長くいたい

やっぱり僕は根っからの悪人なのかもしれない
2012-10-25 11:15:19[184]


JAZZ
僕がjazz好きであるのは有名な話だ
というのは冗談で、facebookのaccountを持っていて、なおかつ僕と繋がりのある人ならよく知っている話である

jazzに限らず音楽はいい
それでもjazzが好きなのはそれなりに理由があるからだ

理由の詳細は別の機会に譲ろう

ただひとつだけ…

僕が学生時代に過ごした京都には、jazzの爆音喫茶が何軒かあった
いやはやまさに爆音である
愛の囁きなどまずできない

いつかjazzをモチーフにした作品を書こうと思う
その時にたぶん僕とjazzとの関わりも登場することになると思う…

先日吉本ひとみさんのliveにでかけた
それはもう最高の夜になった

なんとなく、僕にとって、jazzはいまでも秋の夜の音楽なのだ
2012-10-22 13:59:27[183]


車内での化粧
「車内で化粧をする女性をどう思いますか」

何とも思わないねえ
あえて思うとしたら…
お忙しそうだなあ(T_T)

化粧をしようがスマホを弄ろうがゲームをしようが僕には興味なし

突然着替えでもしようものなら、それはまた状況は異なるけれど…

基本的に僕は忙しい人とは付き合わない
また暇をもて余してる人とも同じである

僕はゆとりのある人とだけお付き合いをする

だから車内で化粧をする女性は御免である
もちろん向こうも同じだろうけど

それに僕は既婚者だから(>_<)
2012-10-18 14:15:55[182]


分数の計算
分数のできない大学生がいるという話

これを世の中ではまさにゆとり教育の弊害だという

実際僕もその通りかもしれないと思う…

だがしかしである…
分数の計算ができないからといって、何も生きていけない訳ではない
むしろ挨拶ひとつできない連中の方がよほど問題だと思う
それにだいたいそういう輩に限ってへこつらうのが極めて上手である
とにかくこういう輩は育ちが悪いのだろう
それに比べると分数の出来不出来など大したことではない

ところでここで気になることがひとつある

ゆとり教育の首謀者は一体誰なんだろう…
分数のできない学力を生み出したのがゆとり教育だとするならば、そのシステムを合法化した側はなぜ一連の責任を負わないのか…

子どもにすべての責任を押し付けて、さらに転嫁までするというのか

これはあんまりではないのか

分数のできない大学生諸君へ
頂点大学を卒業してもこの程度の政策しかできないんだよ
食い物にされた君たちは可哀想だが誰も責任をとらないさ
しかしその代わりとても大切なものを手に入れたのだと思え
ではその大切なものとは何か…
それは羞恥と貪欲と強かさとそして人を見る力だ
分数が出来ても人を見る力がなければ生きていくことはできないさ
そうなのだ
分数力よりも人に対する分別力だ
識別力だ

と言ってはみたものの…
これらの文脈わかるかしら
2012-10-15 13:43:22[181]


目を養う
芸術はやはり本物が一番良い

写真や映像よってでなく、本物は目で親しむべきだ

というのは僕の信念でもある

だからそのためにできるかぎりそれを見にでかける

そこでは当然のコストを払う

因にどこかの市の某かの市長は喧嘩ではなくひたすらいちゃもんをつけまくっては本物への機会を破壊しているようだ

彼は本物に出会う機会に恵まれなかったに違いない

境遇というのは怖いものである

話をもとに戻そう

とにかく偽物はよくない

作ることはもちろんそれを持つことも然り

本物への目はそれを見ることで養われていくのだ

芸術の秋である

本物を見にでかけよう・
2012-10-11 15:37:10[180]


大食い競争
僕はくだらないテレビ番組は一切見ない

言い方をかえると、「低俗で下品な番組は一切見ない」ということだ

芸のないお笑い芸人の番組もその部類だ
だいたいが内輪でバカ笑いしているだけで能の欠片もない

大食い競争などは低俗で下品な番組の極みだと僕は思う…

はっきり言って…
その程度の番組つくスポンサーも同列だ
どうかしているとしか言いようがない…

食は生の基本だ

それを競争と称して見るも無惨に食べる姿はあまりにもえげつない

B級グルメという言葉も気に入らない…

B級はグルメじゃなくてむしろ番組じゃないのかい
2012-10-01 11:15:35[179]


創作の秋&
秋といっても秋らしさなどいっこうに感じられない…

ここにきて未だ猛暑が続くとなると、これはもう狂気の沙汰である…
人間が人として肉体的にも精神的にも快適に暮らす限度を越えている

こういう場合は、創作意欲は減退する

そもそもあると信じていない才能も、やはりなかったのだと思う…

こうなるとひたすら寝る
先生業さえお休みをする
たいへん申し訳ないけれど学生や生徒のことは完全に忘れてしまう

それから本屋に向かう…
パワーが感じられるコーナーへと向かうのである

政治も経済もいらんわ
官能ものもいらんなあ

社会問題などほっとき

そうして行き着くのはだいたいアメリカ文学だ

最近は村上春樹氏がしっかり翻訳されたシリーズがあったりするので、そこでエネルギーをちゃっかりいただく

創作と読書は表裏一体だ

今回はこれでかなり元気をもらった
「犬の人生」マーク・ストランド

実におもしろい

14編の短編を集めたものだが、いやこれがまた実におもしろい…
原語で読んでみたいとさえ思う

犬の人生
僕の人生
僕の才能
あまり考えないようにしよう

それより昨日あたりから少し秋らしいかな

犬の人生 僕の人生 僕の才能 まあいいか…
2012-09-23 15:08:52[178]