MyBlog Ver1.40



甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


■公式ホームページ


休肝日一考察
僕は毎晩必ず晩酌をする

先ずは麦酒
次にワイン
時々焼酎…
時々その他

週に一度はぜひ休肝日を設けましょう!

因みに家族はこの標語の推進委員である
さらに因みに僕は反推進委員長である…

肝臓はさぼらせてはならない
さぼるとやはり怠けてしまう
一旦怠けるとそれが癖になる

これが甲山流肝臓活性理論である

ただし…

やむを得ず休肝日を設けることがある

風邪をひいた日
二日酔いの日…

そんな時は早く寝る

いい夢見ろよ

そう自分に言い聞かせて寝る

悔しいけれど…
2013-10-07 09:31:55[257]


自慢話
お年寄りの批判ばかりで大変恐縮だが…

因みに本人は特別反省などしていない

僕は自慢話に花を咲かせる老人ほどこの世でみっともないものはないなどと思っている

つい先日もというか
この人物は恐らく年がら年中そうだと思うのだが…

自慢話を延々聞かされるはめになった

話し出したらもう全く止まらないのだ

しかも声がやたらにでかい…

そこで僕は前もって配備していたミサイルをとうとう連発連射で打ち込んでしまった

僕のミサイルとは極めて簡単なものだ

窓を開け音楽を聴きながら相手の話を完全に遮断することである…

防御は最善なる攻撃である

これが職場なのだからもうたまらない
たまらないけれど自慢話はまだ続く…

今度はラップでも聴いて軽やかなステップでもふんでやろうかね…

などと腹白い僕は強かに考えている
2013-09-26 16:21:36[256]


優雅なるトマトケチャップ秘話
文芸誌「日曜作家」連載中の短編オムニバス「優雅なるトマトケチャップ」が変わらず好評のようである…

来月にはその第4話が掲載される

「あれは全て実話で僕の実体験からのものばかりです」
そういうとほとんど皆が驚き呆れる

もちろん作家である以上また小説である以上は少々脚色も行うが…
だが基本は決して変わることはない

女の子にふられて終電あとの線路をとぼとぼ独りで歩いていると、
来るはずのない電車が僕を追いかけてきて慌てたという体験など、この手のネタには事欠かないが、これももちろん脚色の対象となる
いくらなんでも軌道法違反についてなど堂々と書けるものではない

何度もいうように僕がふられた数はイチローの安打数以上になる…
だからこの短編オムニバスも4000話は軽く越えるかもしれない

もちろん軽い軽い冗談であります

なぜかしら最近若い女性からのデートのお誘いが数件続いたので、
恐る恐る妻にそのことを白状すると何と予想に反して快諾された…

小説のネタになるかもしれないわ

もちろんネタになるわけなどない
デートといっても古都案内に野球観戦さらには酒場放浪なのだから

でもいいからいってらっしゃい!

優雅なるトマトケチャップ第4話はちょっと妖しいお話になってます
2013-09-19 19:08:26[255]


絵日記を始めよう
絵のことになると本当に僕は落ち着かなくなる
僕にとって絵とは描くものではなく観るものなのである…

とはいうものの苦手意識を何とか払拭したい…
そして何よりも周囲をあっと驚かせてやりたい
嘘でもいいから一度は画伯殿と呼ばせてみたい

そういう純粋な思いから習い始めた絵であるが
これまた全く進歩がない

先生は若くてとても美人なのだが
しかも懇切丁寧に指導して下さる

だがしかし…

こんな僕をやはり神は見放さなかったのである

絵日記をやってみるのだ

手早く日常を描くという習慣は絵日記が最も良い方法らしい

しかも先生のお手本が定期的に手元にやって来るのである…

とにもかくにもいったい絵日記などいつ以来のことであろう
たぶん小学校低学年以来ではないだろうか…

「全く君の絵に出てくる人間は骨だけで身が付いてないじゃないの」

その時の担任の言葉に僕はかなり深く傷ついた
実は今でも心の奥底に相当な恨みが残っている

しかし今回は事情が違う

あの時の口紅もささない既に盛りを過ぎたおばさん先生とは雲泥の差

さらりと描くのよ
自然が一番なのよ

これで僕が画伯と呼ばれる日もそう遠くはない
はずなのだが…
2013-09-12 14:29:27[254]


東京オリンピック
東京オリンピック決定のその瞬間

実はその時僕は爆睡していた(>_<)
そんな個人的なことはどうでもいい

僕がこの世に生まれたのは1964年
同じ年に東京でオリンピックが開催

そしてまた東京でオリンピックとは…

その時僕は50代半ば
もちろん厚かましく粘り強く生きているつもりだ…

色々な見方もあるようだけれども…
僕は今回の決定を心から祝福したいと思う
そして聖火台に聖火が灯される日を心待にしている
2013-09-09 12:29:22[253]


partyへの誘い
最近僕の元にちょくちょく寄せられるのがpartyへの誘いである…
知人や友人を介してのものだが…
ただ僕はそのpartyなるものの主たるお方について全く存じ上げない
早い話が面識のない方のpartyへでかけませんかというものなのだ…

よく聞くとその知人や友人も実は主たるお方と特に懇意であるという訳でもなさそうだ

会費も要らないし普段着のまま…
しかも著名人もやって来るという

当然色々理由をつけてお断りというか辞退申し上げることになる…
ところが僕を誘った相手は納得がいかないらしい

食事もタダだしお酒も飲めるのに

納得いかないのはむしろ僕の方だ
知らない人の主催するpartyにねえ
そう思うのだが…
どんなものだろう
2013-09-05 14:05:34[252]


健康で文化的な生活
いきなりだが…
デリカシーの欠如について僕なりの例を挙げてみよう

車内での化粧や大声での会話…
髪の毛をいじくりながらの食事

スマホをしながらの歩行や運転
それでもって自分で転倒するとか電柱に衝突することはまさに自業自得以外の何ものでもない

実はここ半年で僕が体験したことの筆頭はこれである…
それは密室での食事

エアコンのよく効いた部屋で窓を閉めきったままレンジでチン直後の臭いの充満する弁当を貪る行為

ほんの少し窓を開けるとか
或いは周囲に一言断るとか

こういうことは若者はしっかりしている
少なくとも僕の周囲にいる若者は良好だ

話にならないのは全くもってお年寄り…

この傲慢さこそが長生きの秘訣だと言われれば確かにそうかもしれない

いずれにしてもそういう場合僕はわざと窓を開けることにしている
ほんとにわざとそうする…

どうせ何時壊れてもいいような人間関係だ…
そう考えて堂々と実践する

そうして健康で文化的な精神を自分自身で確実に手に入れるのである
2013-08-26 10:07:28[251]


終了?証書
今月歯の治療がようやく終了した

約3ヶ月、計12回
まず神経を抜き、次に奥歯を抜き(注:1日2本抜いた)、虫歯を研磨し、銀歯を入れ、クリーニングにホワイトニングまで…

「お疲れさまでした」
そう言われたときにはあまりに感激して実に涙が出そうになった…

「治療の記念に僕の歯形の模型をくれませんか」
そうお願いするとこの歯形は今後の検診に用いるのですよと丁重にかつ丁寧に断られてしまった

それでも何か記念になるものをと続けて尋ねたら診察券はいかがですかと言われて一先ず納得した…

これは修了ではなく終了証書である

このことを家族に話すと歯形などと皆に気持ち悪がられてしまった
「いったい何が記念の歯形なんですか」
そしてまた妻に叱られる始末である…

今後は治療ではなく3ヶ月に一度の検診に通うことになっている…

ちなみに現在僕の歯は見事な白色だ…
暗闇だと姿は見えないが歯だけ見える

家族は怯えるが僕は実に愉快で楽しい

そしてまた今夜も暗闇に潜むのである
2013-08-22 15:49:53[250]


暑い時には暑い国へ
猛暑を通り越えて…
すでに酷暑であり、さらに激暑である

外に出るのも億劫だが仕方がない…
体に鞭を打ちながら仕事に向かう

とにかくこう暑さが増すと食べることさえも億劫になる

だがしかしである

暑い時にこそ暑い国のものを食したまえ

実際に現地へ向かわなくても構わない…
そういう気分にさせてくれる本格的なお店は幾らでもあるものだ…

僕には行きつけのインド料理とタイ料理とベトナム料理とマレー料理と…

とにかく暑い国の料理を食せる本格的なお店ならよく知っている…
しかもどのお店も常連だから裏メニューなどにもお目にかかれる

いやはやそんな自慢話はどうでもいい

暑いからこそ暑い国のものを食べて元気を頂く

これが甲山流夏の過ごし方なのである
2013-08-08 12:38:42[249]


知人と友人
僕の場合知人と友人の境界は極めて厳格だ…

例えば挨拶を交わす程度ならばそれは明らかに知人である
一方で定期的に会ってとりとめのない会話を交わし合う…
それは僕にとって十分に友人である

基本的に僕は知人との会食はしない…

やむをえずの場合は僕は僕自身を十分演じながら参加する
ただしそれはやむをえずの場合のみである

とはいうものの友人の条件は極めて簡明である

相手の近況を根掘り葉掘り尋ねないこと
もちろん相手からも尋ねられないこと…

たとえ僕や相手がどんな状況にあっても
近付いたり離れたりを繰り返さないこと…
一定の距離が心地よいものであること…
何よりその距離をお互いが十分に認識していること

だから知人は多くても友人は少ない

そしてまた何時まで経ってもその知人の枠にさえ入れない人もいる

人間関係なんてそれでいい…
いやそれが丁度良いのである
2013-08-05 10:22:25[248]