MyBlog Ver1.40



甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


■公式ホームページ


中島みゆき
学生時代の話
下宿の隣の部屋にいた先輩
そのひとつ上の先輩が中島みゆきの大ファンだった

嬉しい時も悲しい時も中島みゆき

就職の内定がなかなか決まらず、そんな時はもう悲壮感で一杯

「俺って死んだ方がまし」

部屋の電気を消してこれまた中島みゆき

ようやく内定の連絡があった夜も…

「生きてるのもまた辛い」

実は僕も隠れ中島みゆきファンだった…
それもこれも隣にいた切ない先輩の影響が大であった

残念ながらライブには行ったことはない

人生は楽が3割
そして苦が7割

打率約3割か…

中島みゆきってやぱりいいよね
2014-03-12 12:45:15[295]


僕にとっての靖国神社参拝
昨日靖国神社を参拝した
もちろん日本人のひとりとして心からの参拝である

僕は戦争を全く知らない
よって大東亜戦争などは歪んだ歴史観による誤った知識を植え付けられた世代である

事実と真実は異なる
事実は曲げられても真実はそこに厳然として存在する

僕が本当に知りたいのは知るべきなのは歪んだ歴史観でも誤った知識でもない
そこに人の生があり死があったという真実のみである
そしてそこに死に行くものと遺されたものの無念さがあったという真実のみである…

空襲によるまた原子爆弾による無差別大量殺戮
無差別大量殺戮という極めて残虐な行為
挙げ句の果ては「二度と過ちを犯さない」
その押し付けこそが鬼畜だと言っていい

敗戦屈辱日といわず終戦記念日に甘んじるそのあいまいさ
死を背負った人たちと遺され傷ついた人たちへの無配慮さ
腹立たしさはそこにもある

そこにともかくも僕は生きている

生きているものとしての責任を全うすること
これが僕にとっての靖国神社参拝なのである

英霊に頭を垂れる

なんと厳かなことだろう
日本人甲山羊二として
自虐などはいらない
2014-03-10 15:29:49[294]


須賀敦子
つい先日須賀敦子全集をようやく揃え終わった
文庫版で全8巻である

期間にして約1年半かかってしまった

彼女のエッセイは当に文章のお手本ともいえる
僕にしては珍しく買う度にゆっくり丁寧に読み進めていく
約1年半という期間もやむを得ない…

A・タブッキを知ったのも…
N・ギンズブルグを知ったのも…
僕にとっては須賀敦子が最初だった

何よりイタリアが最も身近になった
それが僕にとっての須賀敦子である

須賀敦子の人となりとその文学については、ことばスタジオが運営する「国語教室」で連載を書いたことがある

須賀敦子の文章
そのみずみずしさ
もちろん僕などまだまだ追い付かない


「国語教室」は甲山羊二のオフィシャルサイトのリンクページへ
2014-03-06 19:35:50[293]


デリカシーのない人続編
いやはや僕もかなり粘っこい性格だ
粘っこいねちっこい…
この際どちらでもいい

さて今回もご迷惑な隣人編だ
どうやらこのテーマはエンドレスな気配である…

さてさてとあるご老人のお話
なれの果て
いわゆる老害だ

ここではっきりと断っておきたい
僕は全ての老人を老害と見下しているわけではない

老人は敬うべきである
ただし全てではない…

自慢話満載
武勇伝満載
人に媚びること精一杯
そのためには決して手段は選ばない
嘘も方便…
小便でも大便でもない
でも内容は極めてそれに近い
他人の話に平気で割って入る
おまけに誹謗中傷は神業大のお得意
レンジでチン弁当を狭い部屋で香り満載で食う
食いながら大声で喋る
しかもどうでもいいことを
とにかく自分が優位に立ちたいのだ
でも知識も知恵もない
いやある…
知恵はある
浅はかでカビだらけの知恵だけれど…

プレゼントに棺桶でも送ろうか
それとも骨壺がいいかしらねえ
ちなみにこの方骨壺なら自分で作りそうだけど
しかも立派に歪んだ骨壺だろう

ああすっきりした
でもまた続きます
こやつが僕のすぐそばにいる限りはね
ふふ
2014-02-27 14:41:52[292]


いちご白書をもう一度
何とも懐かしい響きである
「いちご白書をもう一度」byバンバン

この曲がヒットしたのは僕が小学校5年生の頃
だったと思う

この曲をきっかけに中学ではフォークギターをかき鳴らし…
高校ではロックギターを大音量で弾きまくり…
大学ではJAZZに没頭し髪を肩まで伸ばして恋から恋へと渡り歩いた

何もかも若さゆえである

周りが次々に就職を決めていくなか、僕は本当になにもしなかった
なにもせずに下宿で朝から酒をちびちび飲んでいた
なぜか
答えは簡単である
髪を切るのが嫌だったからだ
もう生えてこなくなるのでは
そう心配したからだ
というのは冗談で…
厳しかった受験勉強も破れかぶれな学生生活も全て就職という事実でもって終了する
就職して競争して結婚して子育てをして老いて疎まれ普通に死んで行く
それが怖かったからだ

いちご白書をもう一度

ついこの間行きつけのレトロな居酒屋でこの曲が流れていた
僕が黙って聴いていると隣の女性からどうかしたのかと質問された
それで僕がさっきの話をすると彼女は急に吹き出した
先生にもそんな時代があったんですよね
そうあったのだ
そして髪はまだ生え続けている
2014-02-26 21:12:10[291]


横山やすし
横山やすし
通称やっさん

懐かしい響きである

僕にとって最初で最後の芸人である…

最近の芸人はどうやら芸も能もなさそうだ
内輪でバカ笑いすることが芸人なら素人でもできる
そして誰にもできないのが本当の芸人なのだ

やっさんは確かに破天荒だった
暴力や暴言
さらには借金まで
それでも芸は見事だった

実際のところやっさんの暴言など暴言にもあたらない
言って当然
言われて然り
だからやっさん
天国ではつまらない反省など一切することないんだ!

そう言えば
やっさんが亡くなったときの追悼番組
関西芸人の大御所といわれる輩が、やっさんの復活を願っていたと
ほざいていた
俺は手を差しのべたかったんだと…

死人に口なしか…
全くもって好きなことを言う輩
下品とはまさにこのことだろう
ちなみにこんな輩僕の周りにも結構大勢いる
いや生息している
しなくていいのに

今やもうやっさんはDVDでしかお目にかかれない
それでもいい

ぼくにとっての最初で最後の芸人は横山やすし
その人ただひとりである
2014-02-20 12:30:08[290]


優雅なるトマトケチャップ?
先日「優雅なるトマトケチャップ?」が「日曜作家第5号」に掲載された
連載短編オムニバスも5回を迎えたことになる

何度も言うようにこれらの話は全て実話である
1984年春の恋から始まったこのシリーズ…
ただしこれもエンドレスという訳にはいかない
全ての物事には始まりがあって終わりがある…

実は主人公の「僕」は1985年で20歳となる
そこで…
1985年冬の恋をもって一旦この連載を閉じてみることにしたいと思う…

今回が1985年春
連載は残りあと3回

「僕」は少しずつ成長する
それに応じて作品も成長していく必要がある
そう
リニューアルだ

今回はJAZZの気配が背景にある
次回以降はJAZZといういわば大人の音楽に目覚めていく
そうして1985年を終えていく

1986年からの「僕」はどう大人になるのか
そこにはやはりJAZZ

続編にもぜひ
2014-02-19 12:45:49[289]


バウムクーヘン
バウムクーヘン
何とも食欲をそそる響きだ
以前ラーメンへのこだわりを少し書いたことがあるが…
バウムクーヘンへのこだわりもなかなかのものである

僕がこだわるバウムクーヘンとは

兵庫県三田にあるkoyamasBAUMである

これは現地でないと調達できない
いわゆるこだわりは作る側にある

ここのバウムを頂いたらもう他のものは残念だが食べれない
だから僕は現地に向かう
何時間かけても向かう…
そうして必ずGetする…
幸福実現には労苦が伴う

ここのバウムにはもうひとつの楽しみがある
本型のケースだ
そこに書かれた小さな物語もまた味わい深い

洋菓子は味と夢を乗せなければならない
それこそが洋菓子である
2014-02-18 12:39:11[288]


視点人物
合評会でしばしば取り上げられるのが小説における視点人物である

視点人物は固定されなければならない
それもひとりだけに集約すべきである
これが御方のもっぱらのご意見である

ところが僕はそうは考えない
視点人物は場面において転換可能である
これが僕の考えである
そしてそのことを実際に幾つかの作品で実践している

演劇の舞台でも幕によって支柱となる人物は転換する
実際に舞台はそう構成されている

イギリスのジェフリー・アーチャーは視点人物の転換をよくやる作家として知られる
「ア・ラ・カルト」という短編ではそれが見事に発揮されている

旧い書き手はやはり旧い
残念系作家としかいいようがない
それとも勉強不足か
なるほど
2014-02-17 15:00:48[287]


契沖庵
僕が勤務する学校のすぐ側に鎌八幡というお寺がある
そこはいわゆる縁切り寺である
僕にも絶縁したいと心から願っている人間が数人いる
ただそうした人間のためにわざわざ祈祷料を払うなどというのは何とももったいない
だから自然死を待ち望むことで十分目的は達成される

話を元に戻そう

契沖という人物がいる…
江戸時代の国学者である

実はこの契沖の庵と墓が先の鎌八幡にあるということを最近知った
本居宣長から辿って賀茂真渕そして契沖

どのような場所に庵を結んだか
それもまた興味深い

ところが見学は禁止だという

理由はマナーの悪さが目立つからということらしい

縁切り祈願のお札を撮影してネットで流す
これに寺側もへきへきしているのだという

なるほど

そういう輩との縁切り
これは流石だ
祈祷も何も不要…

しかし見学不可とはやはりもったいない
2014-02-13 13:37:23[286]