MyBlog Ver1.40



甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


■公式ホームページ


カズオ・イシグロ
僕には小説を書くにあたってお手本とする作家が何人かいる
これまでもここで数人を選りすぐって紹介をした
今回ぜひともと思ったのがカズオ・イシグロだ

実は彼は日本人ではない
幼いときに両親とともに渡英してその後はイギリス国籍を取得した…だから彼の文体は日本語ではなく英語だ

どの作品も非の打ち所がない
なかでも…
私を離さないで
日の名残り
この2作品は群を抜いている

特に…
日の名残り

英国貴族に支えるひとりの執事
その独白が全ての構成を占める

英国という国家の強みと弱み…
その卑屈さと傲慢さ

それらが実に嫌みなく表現されている

課題図書に是非と思うのだが
どうだろうね

とにかくお薦めの作家である
2014-03-24 21:22:27[297]


三島由紀夫自決一考察
以前ここでの記事で小林秀雄を取り上げたことがあった
そこで引用したのが西尾幹二の論文である

江藤淳が小林秀雄との対談の際に、三島の自決を「病気」と表現した
それに対して小林秀雄はすかさず、「日本の歴史を病気というのか」と強く反論をした

話は少し横道にそれてしまうが、まだ学生時代初期だった時のこと
僕は左派学生と随分交流があった
寮や下宿の部屋でよく朝まで語り合ったものである
彼らが主宰する歴史学研究会などでは難解で奇妙な単語が飛び交い、最後はリーダーとおぼしきひとりの学生が常にこう締め括っていた
「その提案はただ今却下されました」

僕が彼らに違和感を感じたのは却下の仕方がどうこうということではもちろんない
当時僕も彼らもれっきとした無産者だった
学生とはそういう存在なのだ
そして彼らは時期が来ると髪を切ってスーツに身を包み去っていった
思想とは所詮無惨に捨てられていく為のものなのだ…
そこから僕は彼らと付き合わなくなった…

三島の自決を僕は知らない
知らなくても歴史に刻まれた真実は残る

随分前に父に事件のことを聞いたことがある
「あの時はあのバカ野郎どもがと思ったなあ」

僕はバカ野郎どもを最初は三島たちのことだと思った
実は最近までそう思っていた
しかし実は違っていた
父がバカ野郎どもと名指ししたのはむしろ自衛官たちに向けてだった

整列もない
野次と雑言
迷彩服に身を包んだサラリーマンたちがそこにいた
そしてそれが今なお続く戦後という脆弱な歴史の一旦なのかもしれないと僕は考える

思想は簡単に捨てられていく
人間もまた忘れられていく…
けれども歴史はあり続ける
人間によって事実が歪曲されたとしても、真実はあり続けなければならない
それを紡ぐのもまた悲しいかな人間である

僕はユートピア論者も大嫌いだが、単純な攻撃的論者も好きになれない

歴史を紡ぐというのは本来は極めて個人的な作業だと思う
そして孤独で静かな作業なのだと思う
胸に秘める思いほど強く怖いものはない
そう僕は考えている
2014-03-13 15:56:49[296]


中島みゆき
学生時代の話
下宿の隣の部屋にいた先輩
そのひとつ上の先輩が中島みゆきの大ファンだった

嬉しい時も悲しい時も中島みゆき

就職の内定がなかなか決まらず、そんな時はもう悲壮感で一杯

「俺って死んだ方がまし」

部屋の電気を消してこれまた中島みゆき

ようやく内定の連絡があった夜も…

「生きてるのもまた辛い」

実は僕も隠れ中島みゆきファンだった…
それもこれも隣にいた切ない先輩の影響が大であった

残念ながらライブには行ったことはない

人生は楽が3割
そして苦が7割

打率約3割か…

中島みゆきってやぱりいいよね
2014-03-12 12:45:15[295]


僕にとっての靖国神社参拝
昨日靖国神社を参拝した
もちろん日本人のひとりとして心からの参拝である

僕は戦争を全く知らない
よって大東亜戦争などは歪んだ歴史観による誤った知識を植え付けられた世代である

事実と真実は異なる
事実は曲げられても真実はそこに厳然として存在する

僕が本当に知りたいのは知るべきなのは歪んだ歴史観でも誤った知識でもない
そこに人の生があり死があったという真実のみである
そしてそこに死に行くものと遺されたものの無念さがあったという真実のみである…

空襲によるまた原子爆弾による無差別大量殺戮
無差別大量殺戮という極めて残虐な行為
挙げ句の果ては「二度と過ちを犯さない」
その押し付けこそが鬼畜だと言っていい

敗戦屈辱日といわず終戦記念日に甘んじるそのあいまいさ
死を背負った人たちと遺され傷ついた人たちへの無配慮さ
腹立たしさはそこにもある

そこにともかくも僕は生きている

生きているものとしての責任を全うすること
これが僕にとっての靖国神社参拝なのである

英霊に頭を垂れる

なんと厳かなことだろう
日本人甲山羊二として
自虐などはいらない
2014-03-10 15:29:49[294]


須賀敦子
つい先日須賀敦子全集をようやく揃え終わった
文庫版で全8巻である

期間にして約1年半かかってしまった

彼女のエッセイは当に文章のお手本ともいえる
僕にしては珍しく買う度にゆっくり丁寧に読み進めていく
約1年半という期間もやむを得ない…

A・タブッキを知ったのも…
N・ギンズブルグを知ったのも…
僕にとっては須賀敦子が最初だった

何よりイタリアが最も身近になった
それが僕にとっての須賀敦子である

須賀敦子の人となりとその文学については、ことばスタジオが運営する「国語教室」で連載を書いたことがある

須賀敦子の文章
そのみずみずしさ
もちろん僕などまだまだ追い付かない


「国語教室」は甲山羊二のオフィシャルサイトのリンクページへ
2014-03-06 19:35:50[293]


デリカシーのない人続編
いやはや僕もかなり粘っこい性格だ
粘っこいねちっこい…
この際どちらでもいい

さて今回もご迷惑な隣人編だ
どうやらこのテーマはエンドレスな気配である…

さてさてとあるご老人のお話
なれの果て
いわゆる老害だ

ここではっきりと断っておきたい
僕は全ての老人を老害と見下しているわけではない

老人は敬うべきである
ただし全てではない…

自慢話満載
武勇伝満載
人に媚びること精一杯
そのためには決して手段は選ばない
嘘も方便…
小便でも大便でもない
でも内容は極めてそれに近い
他人の話に平気で割って入る
おまけに誹謗中傷は神業大のお得意
レンジでチン弁当を狭い部屋で香り満載で食う
食いながら大声で喋る
しかもどうでもいいことを
とにかく自分が優位に立ちたいのだ
でも知識も知恵もない
いやある…
知恵はある
浅はかでカビだらけの知恵だけれど…

プレゼントに棺桶でも送ろうか
それとも骨壺がいいかしらねえ
ちなみにこの方骨壺なら自分で作りそうだけど
しかも立派に歪んだ骨壺だろう

ああすっきりした
でもまた続きます
こやつが僕のすぐそばにいる限りはね
ふふ
2014-02-27 14:41:52[292]


いちご白書をもう一度
何とも懐かしい響きである
「いちご白書をもう一度」byバンバン

この曲がヒットしたのは僕が小学校5年生の頃
だったと思う

この曲をきっかけに中学ではフォークギターをかき鳴らし…
高校ではロックギターを大音量で弾きまくり…
大学ではJAZZに没頭し髪を肩まで伸ばして恋から恋へと渡り歩いた

何もかも若さゆえである

周りが次々に就職を決めていくなか、僕は本当になにもしなかった
なにもせずに下宿で朝から酒をちびちび飲んでいた
なぜか
答えは簡単である
髪を切るのが嫌だったからだ
もう生えてこなくなるのでは
そう心配したからだ
というのは冗談で…
厳しかった受験勉強も破れかぶれな学生生活も全て就職という事実でもって終了する
就職して競争して結婚して子育てをして老いて疎まれ普通に死んで行く
それが怖かったからだ

いちご白書をもう一度

ついこの間行きつけのレトロな居酒屋でこの曲が流れていた
僕が黙って聴いていると隣の女性からどうかしたのかと質問された
それで僕がさっきの話をすると彼女は急に吹き出した
先生にもそんな時代があったんですよね
そうあったのだ
そして髪はまだ生え続けている
2014-02-26 21:12:10[291]


横山やすし
横山やすし
通称やっさん

懐かしい響きである

僕にとって最初で最後の芸人である…

最近の芸人はどうやら芸も能もなさそうだ
内輪でバカ笑いすることが芸人なら素人でもできる
そして誰にもできないのが本当の芸人なのだ

やっさんは確かに破天荒だった
暴力や暴言
さらには借金まで
それでも芸は見事だった

実際のところやっさんの暴言など暴言にもあたらない
言って当然
言われて然り
だからやっさん
天国ではつまらない反省など一切することないんだ!

そう言えば
やっさんが亡くなったときの追悼番組
関西芸人の大御所といわれる輩が、やっさんの復活を願っていたと
ほざいていた
俺は手を差しのべたかったんだと…

死人に口なしか…
全くもって好きなことを言う輩
下品とはまさにこのことだろう
ちなみにこんな輩僕の周りにも結構大勢いる
いや生息している
しなくていいのに

今やもうやっさんはDVDでしかお目にかかれない
それでもいい

ぼくにとっての最初で最後の芸人は横山やすし
その人ただひとりである
2014-02-20 12:30:08[290]


優雅なるトマトケチャップ?
先日「優雅なるトマトケチャップ?」が「日曜作家第5号」に掲載された
連載短編オムニバスも5回を迎えたことになる

何度も言うようにこれらの話は全て実話である
1984年春の恋から始まったこのシリーズ…
ただしこれもエンドレスという訳にはいかない
全ての物事には始まりがあって終わりがある…

実は主人公の「僕」は1985年で20歳となる
そこで…
1985年冬の恋をもって一旦この連載を閉じてみることにしたいと思う…

今回が1985年春
連載は残りあと3回

「僕」は少しずつ成長する
それに応じて作品も成長していく必要がある
そう
リニューアルだ

今回はJAZZの気配が背景にある
次回以降はJAZZといういわば大人の音楽に目覚めていく
そうして1985年を終えていく

1986年からの「僕」はどう大人になるのか
そこにはやはりJAZZ

続編にもぜひ
2014-02-19 12:45:49[289]


バウムクーヘン
バウムクーヘン
何とも食欲をそそる響きだ
以前ラーメンへのこだわりを少し書いたことがあるが…
バウムクーヘンへのこだわりもなかなかのものである

僕がこだわるバウムクーヘンとは

兵庫県三田にあるkoyamasBAUMである

これは現地でないと調達できない
いわゆるこだわりは作る側にある

ここのバウムを頂いたらもう他のものは残念だが食べれない
だから僕は現地に向かう
何時間かけても向かう…
そうして必ずGetする…
幸福実現には労苦が伴う

ここのバウムにはもうひとつの楽しみがある
本型のケースだ
そこに書かれた小さな物語もまた味わい深い

洋菓子は味と夢を乗せなければならない
それこそが洋菓子である
2014-02-18 12:39:11[288]