書評は作家にとって時に読者との綱となる
なかには相当トンチンカンな内容の書評も決してなくはない…
実際には読んでないのか、はたまた読解力が欠如しているのか
とにかく書評は生きている
なぜなら読者にとって書評もまた固有の作品となりうるからだ
当該作品を読んだ読者が書評という作品に触れる…
そこで新たなるものに感化される
プラスにせよマイナスにせよ読者とのもう一つの綱がそこでこしらえられていく
あるいは作品を読まずして書評という作品に留まる
残念ながらそこでの読者との関係はもはや関係ないではなくなる
なぜなら実際に作品に触れない読者は少なくとも僕にとって読者とはいえない存在だからだ
書評には責任が伴う
他人の作品に何でもかんでもただ口を挟めばいいというものではない
ところで…
僕は書評を書かない
もちろん自分についての書評には目を通すし参考になることもある
しかし他人の作品についてはそうはいかない
僕以外の書き手と読み手
それはいわば他人同士の綱
そうした重要な役割を僕はまだ担えないし実際のところ担いたくもない
だからちょっとした感想に留めておく
あえて僕はそうしている |