MyBlog Ver1.40



甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


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封印された日本の秘境
僕はほとんど毎日近くのコンビニへと向かう
なぜか…
答えはいたって簡単
レジの女の子に惚れているからだ

毎日会いたい
その思いはもはや尽きそうもない

馬鹿げた冗談はこの辺にしよう…

近くのコンビニにはお酒が置いてある
もちろんつまみもある
ちょっとエッチな本もある
それにもうひとつ
ちょいと珍しい本もある
最近見つけて思わず買った本がコレ

☆「封印された日本の秘境」鹿取茂雄著☆

著者が直々にその場所に出向いて取材を行った故の超リアルさ…

例えば…
近鉄大阪線の旧東青山町駅で朝刊を広げて列車を待ち続ける著者
もちろん廃線となった鉄路に列車は来るはずはない
そうした生写真は僕の興味をより掻き立ててくれる

時々僕も秘境の宿で命の洗濯をすることがある
ただしひとりではない…
常に家族同伴だ
それに秘境といっても人間の温もりは十分に感じられる
けれども山深い中の旧東青山町駅などにはそれはない…
かつての大事故に由来するとなれば当然甲山の血は騒ぐ

このゾクゾクする本の中には他にもたくさんの秘境が登場する
一読の価値大いにあり
ただし課題図書には不向きだろう
たぶん…
とにかくオススメなのだ
2015-01-13 08:29:13[327]


読書の冬
読書は秋が適している
そんなこと一体どこの誰が決めたんだい
僕のような決して素直でない人間はこう逆に問いかけたくなる
周囲はそれをイチャモンという
ありがとう(^_^)/
本当にありがとう(^ー^)
イチャモンもある種の才能だ…
僕のそんな才能に気づいてくれて本当にありがとさん(^_-)

話を普通に…極めて普通に戻そう

僕にとって読書とは仕事と関わりのないものを好きなだけ読むという極めて優雅な作業なのだ
仕事で読まざるを得ないというのは時に苦痛を伴なう
苦痛ならまだいい
激痛は身体に悪い
しかし自由に読めるとなればまさにそれは快楽以外の何ものでもない
快楽は文化だ
それも高尚な文化だ

さて僕の場合…
読書はこたつに足を突っ込んで寝っ転がってやる
時にうたた寝もよい
こういう時こそいい夢を見ることが多い
自由とは優雅とはこういうものだ
海外ではこたつはない
だからベッドで寝っ転がる
臨機応変
そう、まさしく臨機応変
これが本当の読書なのだよ

読書の秋
いえいえ、読書は冬
冬なのですよ
2015-01-02 20:08:17[326]


小説を書くということ
小説を書くという作業は僕の仕事だ…
そうあえて言うのには相応の意味がある

僕にとって小説とは人間を観察した結果として必然に生じる行為と考えている
人間を観察できない或いはそれを怠れば、たとえ優れた文章力があったとしても、小説など決して書くことはできないだろう
では人間を観察するとはどういうことか
何も難しいことではない
その人間の言葉と行動の真逆を想像さえできれば十分こと足りる
安易に相手の言葉を信用しない…
相手の行動の意図を深く読み取る
もちろん相手の人間からもそう見られている
そのことを承知していれば何も問題などない

僕は批評に媚びるような書き方はしない
批判的な批評の大半は嫉妬と妬みによる
僕からすればそうした批評をすることは自分の作品の秘めた構想を暴露することと変わりない
「あなたはこう書いたけれど、私ならここをこう書きます」
こういう類の批評に出合う度、なぜかおめでたい気分になる

僕はおめでたい人間ではなく、そうした生き方は予定にもない
だから批評はしない

小説は強かに書く
僕はそういう心がけに徹している
そしてもうひとつ
小説は孤に徹して書く…
これも僕の大切な心がけとなっている
2014-12-20 10:45:20[325]


冬眠の勧め
我が家の二匹の亀が冬眠モードに入った…
まことに羨ましい限りだ…
こうした亀のいかにも優雅な冬眠姿を20年近く見てきて、今年は特にしかも何時になく僕は嫉妬している

残念ながら人間という生き物は冬眠しない
したい気持ちはあっても経済的には不可能に近いものがある

何といっても冬眠の期間は収入がない…
印税はあっても次の作品に追われないとそれらも次第に減少しいつ途絶えるかもしれない
だから実際は春眠すら危険だといえる…

ただ僕のような自称妄想家はいろんなことを勝手に考えてしまう

もしすべての条件が揃うなら冬眠はいい…
いや冬眠の振りをしてどこかに出掛ける
そうして可愛いお姉ちゃんとうんと遊ぶ…
もちろん朝になると穴蔵に戻って来る…
家人たちは冬眠していると信じているから夜明け前に戻らなければいけない…

まさに冬眠偽装
ただし誰にも迷惑などかけていない

そんなことを考えていたら…
結局原稿の締め切りを思い出してしまったではないか
やっぱり偽装はしばらくできそうにはない
2014-12-15 15:14:38[324]


吠える猫
以前エッセイに僕は猫派でなく犬派だと書いたことがある
猫は近づくと飛ぶように逃げていくけれども、大抵の犬はニヤニヤしながら近づいてくる
だから僕は自分自身をてっきり犬派だと思っていた

ところが最近どう言うわけか犬はもちろん猫にも随分親しみを持つようになった
一定の距離を保ちつつ猫と仲良くなる
この極意を僕が会得したからだろう…

そもそも猫は相当に自立した生き物なのだと思う
狩りをする犬は限られているけれども、猫はそうした習性を間違いなく持っている
なるほど
餓死寸前の猫にお目にかかることなどまずない
それに比べて犬はお食事の時間になるとたまらなく人間を呼びつける
見方変われば状況もやはり一変する

最近では我が家にも大勢の猫が生息するようになった
だがしかし…

我が家の猫は自立に欠けている

狩りはしない
しないどころか食事の時間になると上手に極めて上手に甘える
そうして僕も甘やかす
するとまた猫も甘える

結局我が家の猫はほとんど犬に近い
そのうちワンなどと吠え出すのではないだろうか
正直僕はそれを恐れている
2014-12-08 16:08:10[323]


蕎麦とうどん
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僕は無類の麺好きだ
毎日食べても決して飽きないのが麺とカレー
そう言えばまだ若き頃…
「私と麺と一体どっちが大切か教えてちょうだい」
彼女にそんなことを言わせるくらいに僕は毎日毎食麺を漁っていた
もちろんさっきの質問にはこう答えておいた
「君と麺なら麺が大切に決まっているじゃないか」
彼女は静かに僕の元を去った

さて麺は麺でもラーメンは次回のお楽しみにしていただくとして…
今回は蕎麦とうどんの話だ

僕の場合それぞれに食べ方の流儀がある…
蕎麦の一番の食べ方はなんといってもザルだね
箸で持ち上げたときのあの重量感がたまらない
蕎麦つゆをお湯で割るあの楽しみもいとおかし
うどんの食べ方にももちろんこだわりがある…
ダントツは「たらいうどん」だよ
少々温めの湯に浸したうどんを卵を絡めたお出汁でいただく
もう心から☆たまりまセブン☆だ

実は今度蕎麦打ちを勉強しようと計画を練っている
蕎麦処羊二庵
蕎麦がゆであがる間、僕の小説で一杯いかが
こんなことを考えてばかりいて長編がちっとも前に進まん
これもまたいとおかしだろう
2014-11-25 12:52:19[322]


数字という天敵
僕は典型的な文系人間だ
好きな教科はと尋ねられれば国語と英語と社会…
嫌いな教科はと尋ねられれば数学と理科と答える
そこに迷いなどはひとつもない

数学の証明問題などはもう最悪
だいたいが合同や相似など最初から分かりきったことではないか
それを証明せよなどとは上から目線も甚だしい
先ずはそういう高慢で傲慢な性格をどうにかした方がいい
などと答案に書いたら案の定先生からぶん殴られたことがある…
今は昔…
ただし先生の感情を引き出すことには成功したから、この頃から小説を書きたいという思いが始まった…
多分そう思う

いずれにせよ…
数学はやはり嫌いだ
ここだけの話だけれど数学の先生もあまり好きではない

これが物理となると度を通り越す
物理など人間のやることではない
あれはまさしく神の領域だと思う

とにかく…
数学は生々しい記憶で溢れている
僕にとって数学はいつまでも魔物で天敵なのだ
2014-11-11 17:03:42[321]


明治を知らない僕らたち
「戦争を知らない子供たち」
これは本のタイトルではない
かつてジローズ率いる杉田二郎がギターを抱え歌い、一世を風靡したあのフォークソングの名曲だ
僕の学生時代にはすでに反戦ムードは学内からすっかり消え、男と女の甘くて切ない恋愛ムードだけが漂っていた
今や本当に懐かしい記憶…
そしてその記憶も徐々に僕の中から薄れて行くのだろう
恋愛も切ないが老いもまた切ない

話をポジティブなものに変えよう

先般「昭和天皇実録」の完成が大きな話題となった
完成までの期間の短さは少々気にはなる
ただこれにより昭和史の全貌がより明らかになっていく可能性は大いにある
そう僕は期待している

昭和史は何かと話題になりやすい
大東亜戦争の敗戦と東京裁判
硬性憲法たる日本国憲法発布
目覚ましい経済復興とその闇
天皇崩御の際の戦争責任議論…
いずれもそこには史実に基づく人間ドラマが存在する

かつて高校の歴史の先生になぜ日本は戦争に負けたのかと尋ねたことがあった
先生はこう答えた
「キミ、それは簡単なことで、侵略行為などしたから、天罰が下っただけなのさ」
もう30年以上前のとても古い話だが、こういうトンチンカン教師も確かにいた
いや今もどこかにこういう類は潜伏しているのかもしれない
トンチンカンはまるでゾンビのように生息すると考えていた方がいい

最近僕は明治にとても興味を持っている
明治は幕末から維新をどう言う訳かは激しいロマンを持って相当ドラステイックに語られる傾向が強い
もちろんそれも認める
ただ僕は個人的に昭和天皇について大いに語られる一方で明治天皇に関して多く語られた形跡をほとんど知らない…
ドナルド・キーン氏の「明治天皇」は名著だと思うが、残念ながらその視点は日本人のそれではない気がする
僕たちは情緒を廃してロマンを廃して明治を知る機会に乏しい
そう思う僕はやはり何か勉強不足なのだろうか

最近松本健一氏の「明治天皇という人」を読んでなるほどと思う節が数多くあった
示された参考文献や資料は確かに興味をそそられる

明治を知らない僕らたち
明治を知ることは昭和をさらに深く知ることにならないか
そんなことを考えて文献や資料をかき集めかけている僕も、やっぱりあまりにも勉強不足なトンチンカンなのだろうか
トンチンカン…あらよっと…
秋はこんな僕を少しは利口へと導いてくれそうだ
2014-10-27 15:14:15[320]


危機管理に思うこと
危機管理というとかなり大げさだが…
例えば梅雨時に鞄に折り畳み傘一本忍ばせないこと
或いはスマホの画面を食い入るように眺め歩くこと
さらにトイレで用を済ませて手洗いなしで出ること…
これらは僕から言わせれば完全無欠の危機管理欠如であって、逆にこちらにそれらによる被害が生じないよう新種の危機管理を覚えさせる
いわば僕に新たなる進化を与えてくれる優れものでもある…

僕は決して冗談を言おうとしているのではない

例えば自分の子供を魔の手から守るために親は真に必死で知恵を絞る
変質者が徘徊していると噂になればラインやメールで情報を共有する
まともな親ならつまらない建前だけの校則など無視し携帯を持たせる
さらにはGPS機能搭載の機種で子供の居場所をしっかり把握するなど…
できることはいくらでもあるはず

学校や行政は基本的にやることが限られている
いや厳しい言い方をすればやることを予め限る
そんなことは幾らでも過去の事例で分かるはず

子供に関わる事件報道陣を見聞きする度に僕はいつも同じ混乱を覚える
ラインやメールは何のためにある
携帯やスマホは何のために使う…
ただの繋がりなのかい
ゲームのためなのかい
それとも新たな出逢いのためかい

もっと居直ろう
大流行したあの絆さえ本当はこの国のどこにもない…
絆という空気がただただぼんやり存在するだけなのだ
自分を守るのは自分の危機管理意識以外どこにもない
そして
大切な子供の命を守るのはやはり親以外に誰もいない

最後にさらに居直ろう
子供の命を守れない…
それはもはや親でない
2014-10-11 11:45:22[319]