MyBlog Ver1.40



甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


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怖いもの

僕は怖い話が大好きだ
幽霊やお化けや妖怪はもう得意中の得意
先日も知人の女性が夜道で幽霊に遭遇したと大真面目に話してくれた
「家族の誰も信じてくれないからせめて甲山さんには信じて欲しい」
そこでそれを信じるかわりに僕の経験した怖い話をして差し上げたらさらに彼女を震え上がらせてしまう結果になってしまった
もちろん僕の経験したなどというのは全くの嘘だ

僕は幽霊もお化けも妖怪も知らない
信じてないのではなく知らないのだ
随分以前にある事情で宿泊先を探した挙げ句にようやくたどり着いたのが事故部屋だったのだが…
それでも幽霊もお化けも妖怪も姿を現さなかった
おかげで格安の料金でぐっすり眠ることができた
僕の場合は体質がこうだから仕方ない
非科学的なものを信じなくはないが知らないものはしようがないのだ

幽霊もお化けも妖怪も怖くなくはないけれどやっぱり生身の人間の方が僕にとっては最も厄介な存在だ
そして妙な興味までそそられる…
何より怖い話は現実の方が余程リアルだと僕は思う
それに人間の腹の中は本当に怖い
そこにはきっと非科学的以上に非科学的なものがうごめいているに違いない
やっぱり僕にとって人間に勝る怖さは今のところないようだ
2015-11-28 16:23:18[355]


常連面一考察

居酒屋でもどこでも必ずいるのが常連と呼ばれる人たちだ
大体の飲食店はそうした常連の落とす金で店を賄っているといっていい
但し常連もこれまたいろいろ…
オレはアタイは常連なんだと人の話に勝手に割り込む
オレやアタイが食うものはこれ絶品と勝手に注文する
大声で店側の人間と会話する
挙げ句の果てに許可なく厨房にまで侵入する
かと言えば…
大人しくダンディーに呑む食す紳士
その横で微笑む淑女
紳士淑女ははまさに常連中の常連…
見習うべきだと僕は思う

味は旨くてはいいけれど常連のやかましさにヘキヘキ…
そのことですっかり遠ざかってしまった店は数知れない
「君子危うきに近寄らず」
僕は君子ではないがイライラしながら一軒の店にすがりつく義理もない

常連面はよろしくない
金は落とすが品まで落とす
けれども最後の残るのは金でなく品
やはりそういうものだと思う
2015-11-14 12:59:32[354]


行列ができない店

行列ができる店は人気店で味もまた最高
こうした宣伝文句を僕は決して信じない…

客を並ばせて平気な店…
それを当然と振る舞う…
そんな類の横柄さはもはや全うな商売などではないと僕は考える
もっとも平気で並ぶ客がいるからこそ行列もできるのだろうが…
並ぶ客と並ばせる店という奇妙な関係…
後ろでまだ誰かが並んでいると思うだけで僕などは落ち着きがなくなってしまう
美味も半減いやそれ以下
他人を顧みない人にとってはそれでいい…
腹を膨らませるだけの行為としても十分に成立している

僕は行列のできる時間には仮にもそうした人気店に出向くことは品格のないことは決してしない
どうしてもというなら予約する
例えばラーメン店での予約などシステムとしてはないだろうが…

僕の知っている行きつけのラーメン店では一切の宣伝はやらない
店主曰く
「本物のお客は混まない時間にやって来る」
らしい…
つまり時間の使い方の上手い客はいい店を自分で探して都合のいい時間に食するということなのだそうだ
なるほど

並んでいる間もスマホでゲーム
食す前に先ずは写真にバッチリ
食している間にもラインで通信
その後はもちろんゲームの続き

こらじゃあ連中の思考能力もきっと頭打ちだろうなぁ
などと思う僕はやっぱりダメなのだろうか
2015-11-02 08:23:21[353]


仕事への対価

つい最近こんなことがあった
相手曰く…
「うちの子どもは国語が不得意なのでちょっと勉強のコツとやらを教えてやってもらえないだろうか」
とのこと
話を聞くとさらに調子に乗って週に一度くらいのペースでときた
僕にとって相手は勤務校の生徒でもなくただのご近所に過ぎない…
塾は費用が要るし家庭教師はさらに高額だと更に曰うからとんと呆れてしまった

だいたいが対価なく自分の能力や技術を晒す義理はどこにもない
例えばコンビニで物を買えば対価を払う…
それと同じ論理がなぜ勉強を教わるという局面においてはうやむやになるのだろう
タダがいいのなら学校の先生に好きなだけ教わればいいのだ
或いは親が自ら教えるのもいい
学校以外で他人に物を教わると必ず費用というものがかかる
地縁の甘えにも程がある

話は変わるが…
以前にあるプロの音楽家が演奏の依頼を受けた
依頼者はある福祉施設で安価どころかボランティアでの演奏を期待していたらしい
憤慨したその音楽家がことの顛末をブログに書いて話題となった
記事の転載はあえてしないが音楽家の言い分は正論だ
これだから日本ではまともに芸術が育たないのだろう

話を戻そう…
僕も依頼に対して断った
僕の場合は対価だけの問題ではない
普段は挨拶もろくにしない親子に都合良く自分の時間を奪われる筋合いなどない

プロへの対価
これは日本では極めていい加減なものだ…
何でもかんでもボランティア…
タダでやってもらって当たり前
それでいて自分の給料は安い安いとほざくのだから本末転倒も甚だしい
全くもってアホちゃうかと思う
2015-10-26 12:44:38[352]


チラシの効果

読書はアナログ世界の象徴的な行為だ…
もちろん電子書籍のニーズに伴う流通なども今後はいよいよ本格的になるだろう
それでも本を読むという行為自体はやはり紙の書籍ならではのものだと僕は思う…
電子書籍を読むと言われても残念ながら今のところ僕にはほとんどピンとこない

実のところ自ら立ち上げた個人レーベルまきば出版の刊行物をどう宣伝するか…
このことについて出た結論はアナログにはアナログでいこうということだった…
読書はまさにアナログ…
読者もそれについてはやっぱりアナログ
ネットでの宣伝と並行しながらアナログツールによる宣伝も行う…

例えばあの新聞の折り込みチラシなども未だに重宝されている
一方で新聞を定期購読せずして折り込みチラシだけを入手する
こういうケースも当然ある訳だからチラシの効果は侮れない…

そこで今回初めてカラー刷りチラシの作成に踏み切った訳だ…
流石確かに効果抜群だ
新聞の折り込みとはいかないまでもその手動配布効果はなかなかのもの
これが直販に繋がったのは言うまでもない

デジタルも良いがアナログはまだまだ決して捨てたものでない
チラシは人が手に取る
そしてそれを必ず見る
見れば印象には残る…
それがたとえどんな形であったとしてもだ

本を読むという行為…
今後もこれが廃れることはないだろう
読書もそしてチラシも紛れもなく延々とそして脈々と続いていく文化だったのだ
2015-10-10 12:52:08[351]


謎の国勢調査について

今年は5年に一度の国勢調査の年だが…
こういう類の調査や統計などは全くといってあてにならない
だいたいがこれらの結果がどこでどのようなかたちで具体的に活かされているのか僕には見えてこない
いやそもそも一体何に活かそうとするためにわざわざ国民の貴重な時間と労力を蝕もうとなさるのか…
僕のような頭の悪い人間はお役人殿たちのお考えなさることがとんとわからない

超高齢化社会の到来
さらには少子化問題
労働力不足
はたまた…
年金保険の財源確保
などなど

国勢調査の結果がまともに活かされているのならそれらへの対処はこれほどまで後手にはならなかったのではなどと思う

そこでだ…
一度でいいから結果について合議の状況をライブで観てみたい
もちろんDVDがあればなおいいのだが…
そうなれば僕は必ずレンタルしようと思う

などと妄想を企てるのはやっぱりこの僕の脳ミソがトンチンカンだからだろうか
とにもかくにもやっぱり謎の国勢調査…
僕には本当にわからない
妄想は深まるばかりだ…
2015-09-28 07:52:22[350]


批評に対する批評

世の中には批評好きの御方がおられて他人の作品にあれやこれやと難癖をつけて下さる
同人誌では批評に対する批評によって時折合評会なるものが戦場化となることさえある

批評は自由
ただし僕の場合は反論はしない
さらに他人の作品の批評もしない
批評はその道の専門家に任せておけばよろしい
残念ながら僕にはそうした技量がない
ないのでしない
それだけだ

反論も然り
作品は書き手の思惑をよそに読み手の感情を自由に飛び回る
作品は生き物だからやはり自由がよろしい
生きている証拠ともなる
それに戦場も戦争も好きではない
もちろん国家存亡の危機においては常に闘う覚悟でいるが批評は全くそれには当たらない
つまらぬ戦はしない
それだけだ

批評は批評好きや専門家に任せる
批評に対する批評も好戦家に任せる
送られてきた批評はシュレッダーに任せる
それでいいのだ
2015-09-14 12:07:14[349]


橿原神宮と神武天皇陵

ドナルド・キーンの「明治天皇」に随分触発されて…
もちろん理由は決してそれだけではないが…
この夏は久々に橿原神宮とその隣にある神武天皇陵にも足を延ばした

実は最近になって記紀をもう一度勉強し直したい欲求に駆られていて、但しそのための時間の捻出が今のところの最重要課題ともなっている

僕は歴史学者ではないから記紀にある記述を正確か不正確かを吟味したりはしない
僕にとって記紀にある記述もそれについての評価も全てが歴史であり受容すべき対象だからだ

神宮にしても御陵にしてもそこに厳然と在る事実そのものに僕は圧倒されるし、その感覚こそが歴史の中に生きているという実感なのだと思わざるを得ない
それを情緒的だと批判されても一向に構わない
仮に人間から情緒だけを差し引くとしたらそこに一体何が残るのやら
更新されないままの知恵と知識くらいなもの…
性欲さえもそこには残らない

歴史を実感するということは生身の自分を顧みることでもある
歴史の歪曲はもっと醜い
それは自分を否定し殺すことに繋がる

記紀にもう一度触れたいという僕の欲求は自分探しに相当する
もちろんそこには日本人としてのアイデンティティが存在する
見えないものにもちゃんとした価値があるのだ
2015-09-07 18:29:12[348]


甲山談話

 私、甲山羊二はこれまでに実に多くの人間を傷つけ殺めてまいりました。その内実たるもの老若男女問わず、その数は間もなく天まで届くでしょう。その一方で決して生かしてはならない人間を生かしてしまっている事実もここで告白しなければなりません。傷つけ殺め損ねたその罪は極めて重く、それは許されるものではありません。この場をお借りして謝罪を致したく思います。

 次に私は多くの虚実をさも現実のこととして発表していたことをここに告白し謝罪を致します。虚実はやはり虚実であり、現実は現実であります。嘘は泥棒の始まりと言われますが、虚実は甲山の始まりとなれば一大事です。虚実の真相を一日も早く究明致すとともに、今後は虚実の技術を更に向上させ、現実を厳重に管理することによる徹底した隠蔽に務めて参る所存でございます。

 さて、問題は今後のことであります。人間を誰ひとり傷つけることなく、また殺めることなく、作品が書けることなどありません。また、ルポライターでもないこの私が虚実抜きに、はたまたちょっとした現実の挿入抜きに、作品を仕上げることなどできません。日本昔話においても人間を食い殺す鬼が登場しますし、奇妙な爺さんが花を咲かせたりもしております。桃太郎に至ってはそのような巨大な桃などあるはずもなく、あっても流れることなく沈んでしまうはずです。山へ芝刈りに出掛けた爺さん、川へ洗濯に出掛けた婆さん、年金など受給できる時代でもなく、その生計は何に依ったのでしょう。きっとスポンサーが存在していたに違いありません。実は私は桃太郎侍がそれであったのではと推測しているのです。
 竹取物語に至っては憤りさえ覚えます。度を超える竹の伐採は明らかに自然破壊です。さらに光り輝くかぐや姫はどんな衣服を身にまとっていたのでしょう。着替えはどうしていたのでしょう。風呂に入れると溺れます。それにあのおびただしい黄金も不思議です。私は先物による投機の結果としか思えません。

 デビュー後7年の今年、甲山は周辺のまた近隣の同業者に十分配慮しつつも、新しい作品の構築に邁進して参りたいと考えております。従って上記の本来すべきではない謝罪などここに取り消し、もちろん反省すべきところなど甲山には一切なく、個別的独自的作家活動の強化を進めて参りたいと考えております。
2015-08-29 14:59:14[347]


身から出た錆

自業自得という言葉がある
厳しい意味を持っているが含蓄ある言葉でもある

怪しい者には近づかない…
危険な場所に立ち寄らない
などなど
それに反した結果としての災いはまさに身から出た錆だという
これは言うまでもなく正論だと思う

未成年者がそれも10台半ば以前の子どもたちが夜な夜な自由に遊びに出掛ける
それを平気とする親の気持ちを僕は知らない
仮にそうした子どもが自立しているなどとの反論に対して僕はこう言う

自立とは経済的側面を伴わなければならない
親の保護の下でそれはない
甘やかせと見立ての自立は全く違う
言語能力のなさにも程がある
放任の言い訳はしない方がいいのだ

事件が起こる度に僕は思う
一体親は何者なのか
親も親なら子も子か
これを世間の社会の責任にすり替えないでおくれよと
2015-08-24 10:23:49[346]