MyBlog Ver1.40



甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


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お勧め

最近読んだ本の中でお勧めの一冊はこれだ
『「子供を殺してください」という親たち』押川剛著 新潮文庫

内容の詳細についてここでは語らない
ただひとつ言えるのはタブーに切り込んだ著者の行動力とその勇気は賞賛に値する以上のものということだ

精神障害者移送サービス
そこでの生々しい体験がここに詳細に記されている
著者が経験したことに近い事実を僕は隣近所という関係において体験したことがある

体裁を繕う世間体に縛られる親たち
それに乗じて暴れる子ども
そうした負の循環…
こうした事例に出くわさなくともこの国にはれっきとした世間が存在する
しかもそれは社会システムよりもさらに重い枠だ
結局これらによって時にまるで暴発したかのように事件は勃発する…

タブーは内部によって拵えられる
そしてそれは外部によって巧みに保存される
そこを見事に開示した著者の力量は大いに評価されるべきではないだろうか

お勧めの一冊
できれば親子で読んで欲しい
2016-04-07 14:48:37[365]


袋とじ

僕はほとんど新聞を読まない…
新聞は読むものではなく眺めるものというのが僕の持論だ
もちろん興味深い記事にはしっかり目を通すしストックすることなどもなくはない…
何しろ僕の興味はいつも揺れている状態だから大体が新聞記事の狭い枠だけに収まりきれない訳だ

それでは一体何を読むのか…
普段の読書以外に僕の場合は週刊誌を実によく読む
なぜなら…
横並びではないその独自性が僕の勝手気ままな心を大いに揺さぶってくれるからだ

新聞は時の大臣や官僚の横暴を無理に指摘などしない
一方で週刊誌は粉飾決算を不正会計などとする表現の汚れ切った歪曲は行わない
ある意味そこはとても正義に溢れている
それに週刊誌には新聞などにはない袋とじという優れものがある
チケットやスポンジは要らない
鍋ややかんなども欲しくはない
袋とじがあればそれで十分だ…

閉じられた空間への妙な期待感
同時に起こる焦燥感
普段以上にハサミを丁寧に扱う
湧き上がる達成感…
そしてどっと押し寄せる失望感と疲労感と倦怠感
袋とじはあらゆる感情をほぼ一時に味わえる優れものである
それでいて恨み辛みも起こらない平和のシンボルだと言える

とはいうものの部屋中に或いは仕事場が週刊誌に袋とじに埋もれているわけでは決してない
あくまでもそれは普段の仕事や読書の合間という時々のことに過ぎない
しかもちょっとばかりいい気分でコンビニに立ち寄ったりしたらもうおしまい
手には週刊誌が必然として握られてしまっている
興味深い記事と僕の心をそそる袋とじ…
いやはや世の中はやっぱり本当にバンランスよくできているのだ
2016-03-21 14:07:07[364]


日本裏歴史私論

人にはそれぞれ癖というものがある
僕の場合は「裏〜」とくれば敏感に反応するという癖が備わっている
ただこれを他人はフェチというが僕は癖と呼んでいる
他人は他人で僕は僕なのだから仕方ない…
そしてこれさえも癖だと僕は自覚している
癖は皆が持っている
スマホに没頭し過ぎてホームから転落するのも癖
公共交通機関内でお揃いのブレザーに身を纏った低レベル大学の体育会系低脳学生がそれと同質の騒ぎをするのもこれまた癖だ
爆買いに調子を全開にするのもやっぱり民度であってこれまた国をあげての癖となる訳だ

話を元に戻そう
最近楽しみにしているシリーズ本があってこれが「日本裏歴史」というタイトルの雑誌だ
要はこの雑誌は僕の癖をある程度満たしてくれる内容になっていて、ちょっとエッチな広告を除けばなかなか読みごたえのあるものなのだ

過去の怪事件に潜むちょっとした謎
今なお怪しげな噂に包まれる超辺境
廃屋
廃駅
廃線
廃人
などなど…
とにもかくにも霊が潜むトンネルなどと聞くだけでワクワクするのだ

実は僕はこれまで随分事故部屋に宿泊したし、霊が潜むとされる場所にも行ったことがある
ただし残念なことに一般人が経験される怖い体験はこれまで一度もない
それに学生時代に僕が住んでいたアパートなどは周囲が鬱蒼とした場所にあって、ちょくちょく事故や事件もあったというそんな胡散臭い環境に包まれていたのだ
そういうことだから僕のこの体質はやはり本物なのだろう

いずれにしてもこの雑誌にある裏歴史を探訪したいという欲求は日増しに大きくなっている…
但し働き盛りの僕にそのような自由はしばらく許されそうにない
だから「日本裏歴史」は大変貴重で僕の癖を満たしてくれる大切なツールとさえ言える訳だ
そしてそういう癖を時々小説にも織り交ぜてみる
癖にも分かち合いが必要なのだと僕は思っている
2016-03-07 12:38:33[363]


壇一雄

壇一雄の「太宰と安吾」を読んだ
角川ソフィアは良い本出すなぁ…
これは本気の感心

壇一雄と言えば「火宅の人」で…
「火宅の人」と言えば福岡能古島
そして緒方拳にいしだあゆみに…

僕が小さなフェリーで能古島に渡ったのはちょうど二十歳の時のこと
島をほとんど徒歩で周遊して日射病になって船着場でとうとうダウン
そして博多に戻って病院など行かず中洲でへべれけになるまで呑んだ
これまた今や懐かしい思い出だ…

ところで「太宰と安吾」の太宰編に森敦が登場しているのは意外だった
森敦の「月山」
これも日本文学史上の大名作だ

壇一雄も太宰も言わば放蕩の限りを尽くしたはずだ
にもかかわらず周囲は誰も見放さなかった
いやむしろ慈しんだと言って良いだろう…
その中に森敦がいて亀井勝一郎がいて井伏鱒二がいてなどなど…
何とも羨ましい

懐かしさと羨ましさの陶酔
読書はだから止められない
2016-02-20 14:22:44[362]


愚問へのお答え

甲山さんの好きな作家を挙げて下さい
こうした類の質問に対してまともに答えることについて僕は正直へきへきしている…
質問者の質問はいつも自由で気ままだ…
それに質問者は予め回答を練り上げその範疇にはめ込むことしか考えていない…

僕の好きな作家はマンスフィールドと赤江漠と村上春樹と須賀敦子と…
そこで質問者は大いに裏切られ時には気分を損ねて僕に失望を覚える
なぜマンスフィールドや村上春樹がいけないのだろうか
実はこういう質問は同人仲間が発する場合が極めて多い
夏目漱石や志賀直哉や田山花袋などなど…
彼らが期待する回答は殆ど決まっている
そして僕もまたそういう相手の態度をアホかと思う
書き手がこうだから読み手もそっぽ向く
相乗効果はいつも健全で等しいことがこれで分かるという訳だ

とにもかくにも僕はマンスフィールドという作家が大好きだ
彼女の短編はいつも揺れている
つまり欲張りでなくひ弱さもなく強情でもない
読む度に印象が違う
こう読め、ああ読め、などといった押し付けがましさが感じられない
小説はこうでなきゃ

質問者の期待を裏切ることはとても愉快だ
だいたいそういう質問を事も無げにする連中ほど僕の作品に目を通したこともないのが殆どだ
質問は相手を調べてやる方がいい
推薦図書を挙げてくれという依頼もこれまた然りだ
三島由紀夫の「憂国」を僕が推薦してもあれこれ理由を付けて却下する
こういう例は建前だけの学校に多く見られる

マンスフィールドはとにかく良い
一度読んでみな
と推薦しても読まない人は決して読まない

好きな作家を公表しようが好きな作品を推薦しようが相手の知性にもよりけりだ
やるだけ無駄ならやらない方がましだ…

あの人は芥川龍之介の再来だ
そんな台詞しか吐けない人ほどなぜか他人への妬みだけは凄い
日本人はだから興味深い訳だ
2016-02-08 10:45:18[361]


整理術一考察

仕事のできる人は極めて整理が上手い…
必要な物を無くすことなどまずないし物忘れもほとんどない…
そこは子どもも同じ
しっかり勉強のできる子どもは身の回りの整理だってきちんとできるという訳だ

鞄の中がぐちゃぐちゃというサラリーマンの姿を時々見かける
何を探しているのやら必死の形相で鞄の中をかき回している光景は明らかに滑稽そのものだと言える…

整理整頓という技は大人になってからはほとんど身につかない
それは質の良い周囲の者から躾を通してのみ自分のものになる

僕は例えば書類整理には必ずやクリアファイルを活用する…
クリアファイルは最適
街中で時々配布されていれるもので十分
ロゴやら一切問題ない
配り手が可愛いお姉さんであるかもまたここでは問題ではない
いやちょっと気になる
時もある…

用途別目的別に予め整理しておけば後は必要なファイルを鞄に入れるだけ
例のあの米研ぎサラリーマンのように鞄の中を引っかき回すことも必要ないのだ

だから僕の仕事場には各種のロゴ入りファイルが存在する…
盗作でも類似でも良い
そこで…
今日もあなたのファイルを心よりお待ちしております
とここに添えておこう
2016-01-23 16:29:48[360]


国境のない音楽

文学という摩訶不思議な世界にいると他の芸術がとても羨ましく思える時がある
なかでも音楽は文学にはない魔力を感じる
音楽の持つ魔力…
それは言葉の世界にはない人間の魂を揺さぶるリズムとも言うべきか

例えばラテンのリズム
独特のキューバリズム…
少なくともそこには言葉を越えた何かが存在している

音楽には国境などない
一方で文学には言語というれっきとした表現上のテリトリーが存在する
原作から翻訳へ
注釈を挟んでまたさらに翻訳へ
その間に作品は国境を越えても本来の持つリズムは次第に失われる…
音楽にはそうした喪失が一切見られない
聴いてどう感じるかは好みの問題であってその下地となるリズムはアレンジされるもの以外残存する
いやアレンジメントされた中にまた新たなリズムが誕生する
喪失と創成
これは極めて大きな違いだと僕は思う…

文学など所詮文楽(ぶんがく)に過ぎない
だから偏狭であっても十分に成り立つ…
けれども音楽はそこにだけ止まらない
偏狭なのはせいぜい鼻歌くらいのもの
人はリズムによって目覚める
言葉に怒りを持つことはあってもリズムに対してそうした感情をもつことはない

もう一度繰り返そう
音楽には国境はない
なぜだろう
それはきっと音楽が神の生んだ平和の芸術だからだろう
きっと…
2016-01-13 15:14:05[359]


告知の効果

最近実践して極めて効果的なある事実を紹介したい
ここに好む相手と好まざる相手の2種類の相手がいるとする
もちろんそれらはれっきとした人間様だ
実を言うと僕の場合は後者すなわち好まざる相手とのニアミスが多い
これによりまたかという感情が自分自身を疲れさせてしまう
ところが相手はそうと知ってか知らずか平気で登場する訳だ
よって僕の疲れはついにピークに達する
そこで実践したのが甲山流告知撃退法だ

相手を嫌う根拠について説明は要らない
自己の感情そのありのままで十分なのだ
例えば分りやすく相手を動物に準えると…
キリン君は好きだがヘビは見るのも嫌だ
この程度のものでいい
それではなぜキリンさんが好きなのか…
もちろんキリンさんと食事を共にしたこともなければドライブしたこともない…
それでもキリンさんが好きだという感情それだけあれば良い…
よってヘビも同じこと
触れたこともないしぐるぐる鉢巻きにして噛まれそうになった記憶などもない…
それでも僕の感情は嫌は嫌であり続ける
これを体系的に理論的に説明はできない

だから人間も同じで大いに結構なのだ…
感情的に嫌な相手は嫌
このことをショパン流に表現するなら…
「霊感がもはや相手を受け入れない…」
間違いなくこうなる…

これら直情型撃退法の効果は見事抜群だ
仮に言葉にできないのなら無視でも黙殺でも良い
キャッと叫んで逃げてもまた良い
たった一度の人生
我が儘もまた良い
2016-01-02 12:14:09[358]


先人の知恵そして…

先人も多種多様であって実際には全ての先人が敬愛の対象かといえば決してそんなことはない
ろくでもない先人だってゴロゴロいる

先人の知恵という言葉がある…
真の知恵を持った先人は確かに尊い
「家のつくりやうは夏をむねとすべし」(徒然草)
こうした先人の言葉には生きる上での含蓄が刻まれている
住める場所
住んではいけない場所…
先人の知恵を馬鹿にするとその結果はおおよそ悲惨なものになる

過去に幾度となく津波の被害にあった場所
同じく過去に土砂災害の被害にあった地域
先人はそうした地域を特定できる隠語のようなものを残して戒めとした
寺田寅彦などは学者として文献において津波災害の繰り返しを警告した
隠語も文献も過去の異物として無視し封印してしまうことは簡単だ…
一方で新規の情報にどれだけ精通しているのかといえばこれも怪しい
古いものにふたをして新しいものには見向きもしない
そうした浅はかさが新たな災害をもたらせてしまう…

ところで僕たちは未来の先人として次世代に何を残すことができるのだろう
先人はスマホに熱中するあまり電車と接触して死んじゃいましたとさ
先人は言葉だけの上辺だけのキズナに酔いしれ実は自己中でしたとさ
これでは日本先人馬鹿物語だ

知恵は継承されなければならない
ただそうした素地が世の中にあるのかと言えば極めて怪しい
同じ轍を何度も踏む
そうして忘れる
いや忘れようとあえて務める
思い出せるものを破壊する…
何ともおめでたい限りではないか

僕はこの日本という国が10年もたないのではないかと本気で考えている
思考も思惟も分別も良識もかなぐり捨てでひたすら享楽へと走る
周囲には老害がはびこり先人候補も見当たらない
ことあるごとに詭弁を発するという点においては若者と中年と老人の相違はもはやない
これでは知恵は継承されない
国家を貶める者は多くいても憂慮する者は少ない
日本から武士が消えようとしている
それでも僕はこの日本という国にあえて未来を創造してみたいと思う
10年持つか持たないか…
たかが10年
されど10年
場合によってはとてつもない変革が起こるかもしれない
問題はその時に生じるであろう痛みに耐えうるか
そこだけだろう

先人…
その知恵で僕たちは生きている
そして…
痛みもまたその知恵で昇華されるはずなのだ
先人の知恵
日本人の知恵
そして伝統
それらを継承する新たな知恵を模索していきたいものだ
2015-12-13 15:07:05[357]


餌付けレクレーション

昨今は企業が身銭を切って従業員に対しレクレーションを企画し実施するのだという
レクレーションは従業員自身の自立した遊興そのものだと思っていたがどうやらそうではないらしい
従業員どうしのコミュニケーションを企業側が図る
そして離職者を未然に防止する
もちろん業績が悪化すればいとも簡単に首を切る…
餌も使いよう
そして貰いようだろう

僕はそもそも組織を信用しない
バブル期の企業なり組織なりはおおよそどこも好き勝手なことをやりたい放題やっていた
ところがバブルが崩壊してしまうと今度は責任のなすり合いが始まった
そして再び訪れた今度のプチ好景気(かどうか)
餌付けは再び繰り返される

自立しない従業員もまた困ったちゃんだ
レクレーションに参加しないできない従業員への排他的行為
そんなことも起きるやらどうやら

スマホゲームに没頭するサラリーマンを餌付けするのは簡単なこと
口当たりの良い虚偽を並べても疑う力さえもはやない
心ではなくもはや脳ミソが思考が餌付けに最適の状態になってしまっている
心などという臓器はない
全ては脳ミソのなせる技なのだ

僕のようなひねくれ者はこうも言う
餌付けされる前に自分のスキルを磨けよ
まぁまぁ無理だと思うけどね
嗚呼
2015-12-05 20:08:29[356]