MyBlog Ver1.40



甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


■公式ホームページ


僕の所詮公式
京都のある高校で妊娠中の生徒に教師が体育実技を強要したという
高校も平謝りなら文科省もまたヒラヒラ
そして高校生の妊娠という一大事については問題の矛先を緩ませる
さらに頭の悪い僕はそうした一連の報道や世間の反応についてただただ困惑しているというのが本音だ

大体が妊娠中の生徒が高校に通うこと…
いやはやむしろ高校生が妊娠するなどということ…
もちろん法的には何ら問題はない
それに社会的モラルにも反してはいない

だがしかし…
僕が親なら安易な結末は決して許さない
普通の高校生
セックスすれば妊娠する(かもしれない)は承知のはずだ
まして親になるには経済的自立が必要…
ならば退学して子育てする
それができないなら道はひとつしかない
非情だと言われるだろうが…
親になることをきっぱり諦めることだ
「学業と子育て」を「仕事と子育て」に混ぜて考えてはいけない
僕はそう思う

とは言え…
僕のガチガチ頭ではさらにその悪さでは今回の報道の中身についてやっぱり理解などできない
そこでそういう場合には僕なりの取って置きの公式があるので一応紹介をしたい
それは…

所詮他人様の子どものこと
我が家とは全く無縁のこと
我が家ではあり得ないこと

まさにスッキリする
だからこれは実に全くもって不思議で立派な所詮公式なのだ
2016-06-20 08:50:08[375]


保育所一考察

最寄り駅で数人の女性が笑顔でビラを配布していた
そしてなぜだか僕までも呼び止められてしまった…

30代位の小綺麗な女性曰く
「近所の公立保育所が閉鎖されることになりました...せめてビラだけでも見ていって頂けないでしょうか」

僕は笑顔で交わし通り過ぎた

子どもの数が減少すれば当然行政は何らかの手を打つ
一方でかつては学校を作り過ぎ今や廃校や統合の憂き目にあう
これもまた行政の浅はかな手の打ち方のひとつだと言える…
結局縦割りシステムは将来に向けての多目的箱物を決して実現させようとはしない
増えれば作る
そうして減れば壊す

保育所も然りだ
だいたい保育所は教育の場ではない
そこは働く母親がやむを得ず子どもを預ける場に過ぎない
保育所はれっきとした福祉施設のひとつなのだ

そう考えると…
偽装離婚で生活保護を受給しながら保育所に子どもを預けるハッタリママ
ママ友とのランチの時間を確保するべくごり押し入園させるオドロキママ
などなど…
こういったトンデモママたちの実態を誰も何も言わない
そして保育園という箱物を増やす議論にだけ明け暮れる
はっきり言って原則として保育所はフルタイム労働をマジメにこなす母親の為にある
学童保育だって主旨は同じと考えていい

資格にこだわるなら保育士資格保持者は大勢いる…
さらに行政による空き施設や空間だってかなりある
心ある民間との共同参画もあっていい
空いた土地の利用
建物などの再利用
子どもの数の増減に合わせた応用の利くやり方はいくらでもあるはずだ

自分で自分の命の始末さえつけれない老人には手厚く保護するが、未来を生きる子どもたちには場当たりで厳しい現実を突きつける
なぜか
理由は簡単
老人相手は儲かる
民間も行政もそこは蜜月だ

話を最初に戻そう
なぜ僕がビラを受け取らなかったか
ビラをちらりと見て僕が頭に思い浮かべたのが実は「日本死ね」のあの暴言であり妄言だった
そして昨今よく見かける〈乳母車を押しながらスマホに見入る母親〉の姿だった
保育所もいいが日本の母親に僕はあえて問いたい
「ちゃんと子育てしてますか」
ビラに並んだおびただしい文言に子どもの姿はひとつも映らなかった
配る女性に切迫感や切実さも欠けていた
結局のところサークルのビラ配りにしか僕には見えなかった
2016-06-02 15:52:55[374]


『受験は母親が9割』読了と感想

これはある知人に勧められて読んだ
いや何度も読み返した
そして読み終わった今を記録しておきたい衝動に駆られた
以下はその感想だ

【読了後の感想】
もしこの僕にもこういう母親がいたら東大合格も夢ではなかっただろう
残念ながら僕にはそういう土壌が無かった
とにかく父親にしろ母親にしろ日常の些末さに埋没してしまっていた
僕の持論として東大を合格することはある種の才能だと考える
才能は極めて不平等だ
努力さえ決して寄せ付けない
もっとひどく言えば至極健全な家族のあり方さえもはやある種の才能だと僕は思う
だから東大合格にはそれにふさわしい土壌に生まれ出るという才能が不可欠なのだ
運も才能
結局才能の前には誰もが見事に屈服する
東大合格
僕はこの事実を大いに賞賛したい
同時にできればこの先の事実についても合わせて知りたい
受験にはゴールがある
そこまでは才能で十分だろう
けれども死なない限り人生は続く
自分との戦いを才能で勝ち抜いた先に待ち受けるのは狡猾で嫉妬深い世間との戦いが待ち受けている
社会システムではなく世間との格闘だ
ここに母親の関与が起こるとしたら考えるだけで僕は身震いしてしまう
世間はそんな母親の存在を決して許さない
これが延々と受け継がれた世間というものなのだ
これから先のこと
知識から知恵へ
才能から理性へ
国家に牙をむきその転覆を図るような危険かつ怪しげなカルトなどにその才能を譲ることなく知恵と理性を兼ね備えられるかどうか
もう一度僕は言いたい
東大合格は掛け値なしに素晴らしい
そしてその後の歩みが最も興味深い
以上
2016-05-16 12:59:29[373]


ウオッチャーマン

年度が変わりある事情で通勤時間が極端に延びた
時差出勤を実践しているがそこそこ車内は混んでいる
読書もいいけれどもずっとは眼精疲労の原因にもなる
そこで考え出されたのがバードウオッチングならぬヒューマンウオッチングというスゴ技だ

長く生きていると色々な人間の棲息実態がとてもよく見える
公共交通機関はある意味公的な場だからマナー全開が普通なのだが昨今はそうもいかない…

スマホゲームですっかり童心に帰ってしまったおじさんサラリーマンなどはまだまだ可愛い
頭のてっぺんが禿げていてもそれなりに味がある
車内の送風で残存頭髪がヒラヒラしていてもいい
だいたいが本人は気づいていないのだから尚いい

よくないのは満員電車での飲食だ
おにぎりでなく中華まんとくればこれは全くもって許し難い
狭い車内に激しく漂う香り…
いやある意味これは刺激臭だ
何を貪るかは本人の勝手だろうが周囲への配慮に欠けたこうした選択は打ち首刑に処せたい気持ちさえ起こさせる

さらにはスマホ片手のダラダラ乗降も大流行している
その多くは耳栓でもって周囲との関係謝絶を表明しているからアナウンスも聞こえない
というより聞きたくないのだろう

ついでだからもっと挙げておこう…

突然の爆着メロ…
あれはもはやメロディーではない
はっきり言ってバズーカ砲に近い

長い傘の脇さし…
きっと武士に憧れているのだろう
ただし精神構造は極めて乳幼児だ

短足の組足もある
これはただ哀れとしか言いようがない
言葉を無くすとはこのことを言うのだろう

毎朝のヒューマンウオッチング…
これは実に健康的で良い
心で思うことは自由だからそれによって争うこともない
それに対象者がいないと僕の楽しみもなくなってしまう
何よりこの楽しみを僕から取り上げることは一番のマナー違反だ
そう僕は思う
2016-05-02 11:38:25[372]


スリルトレイン

「阪急電車の車掌が扉を閉め忘れ発車」

阪急といえば高級感溢れる路線を走るというイメージを持つ人も多い
もちろん僕もそのひとりだ…
ところがどっこいそうした固定的イメージを自ら覆そうという意図からだろうか
ユニバーサルスタジオジャパンも驚きのスリルトレインへの大変身とは実に恐れ入ったの一言だ…

一昨年のこと…
阪急電車ではないが近鉄バスで僕も不愉快な経験をしたことがある…
始発乗り場でのこと
発車間際まで扉も開かず乗務員が車内にて携帯でおしゃべり
頭にきた僕が彼に問いただすと私用であることをあっさりと認めたのだ…
ふざけるのも程というものがある

とにかく阪急であれ近鉄であれ乗客の安全を預かるという姿勢に僕は随分疑問を感じている
というのも最近特に乗務員同志の交代時等での私語がどうも気になって仕方ない
運転手や車掌らが構内に響きわたるくらいの音量で私語を交わし合う
もちろん彼ら彼女らは鉄道マニアやバスマニアやその他素人ではない
言わずとしれた乗客の命を預かるというれっきとしたプロ中のプロだ
そういう自覚を乗客のこの僕が微塵も感じられないというのはどうしたものか…
お笑いごとでは済まされない
外国語のアナウンスやサミット前のゴミ箱封鎖などのパフォーマンスも大事だろう
しかし何より大事なのは乗務員のモラルなのではないのか…

とにもかくにも電車やバスにスリルは全くもって要らない
同時に各鉄道会社の組織劣化も要らない…
仮にそのツケを乗客に払わせるという魂胆ならこいつはもっての外だと僕は思う
2016-04-18 08:20:03[371]