MyBlog Ver1.40



甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


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かえる兄弟

先月、新作掌編「かえる兄弟」が文芸誌『さくさく』67号に掲載された
甲山流お得意の皮肉ユーモア
読者にはじっくりたっぷり楽しんでもらいたい

昨今は日本人のマナーの悪さが半端ない
特に老人のそれが極めて目立ってしょうがない
大阪の北部のホタルの名所でも鑑賞ではなくそれを生捕る老害まで出没しているという
情緒を失った日本人
五感を楽しむ余裕まで喪失してしまったのだろうか
いやそうに違いない

「かえる兄弟」には「僕」という人間とかえる兄弟のみが登場する
そこでの他愛もない会話
人間とかえるが会話する
それを完全なる言葉のやり取りと解釈するとかなりややこしい
五感を使ってのやり取り
それはかえる以外にもお犬やお猫とも可能だろう
情緒とはそういうものだと僕は思う

僕は色々な動物と会話をする
少なくとも僕にはちゃんと情緒がある
だから老害へとマイナス成長することはない
自然は人間の持つ情緒を上手に引き出してくれる導き手でもある
だから素晴らしいのだ
2017-04-17 08:44:07[407]


ゴーギャン

名古屋にゴーギャンを観に出かけた
意外にも兵庫には来ない
もちろん大阪に来るはずもない
ならば尾張へ向かうべし
意志決定は極めて簡明だ

ゴーギャンについては湯原かの子さんによる立派な評伝がある
『ゴーギャン』講談社選書メチエ
因みに湯原さんによる藤田嗣治についての評伝もかなり良い

ゴーギャンといえば先ずはタヒチを思い浮かべる
これまでに接した作品の中でタヒチを舞台にしたものへの魅了度はまた格別だ
そこにはゴーギャン自身が描かれている
ゴーギャンの魂がそこに厳然と存在し…
描くことを通して自らを洞察した証を伺い知ることができる
奔放と評されることが多いゴーギャン
勿論それは事実に違いない
ただ一方で自己放棄には決して至らない
自分を凝視するその力は奔放などではなかった
実は真面目で繊細かつ鋭さは失わない
嫉妬を覚える程の力強さが作品の隅々に流れている

絵画は物語る
作品自体に言葉は写らなくても耳を澄ませばそれは聞こえる
作品を通してゴーギャンと語る
その時普段の言葉は瞬く間に宝石と化する
何と贅沢なことだろう
「儲かってまっか」
「ぼちぼちですわ」
そんな愚鈍で腹黒な台詞とはやっぱり比べようもない
2017-04-03 10:59:04[406]


ベルリンの壁

『壁の向こうの狂気』(恒文社)西尾幹二著

東欧と西欧
東側と西側
東西冷戦を表すこれらの言葉
そしてベルリンの壁はその象徴だった
壁の崩壊による東西雪解け
それによって東側に向かった自由
東側の戸惑い
強い困惑…
さらに失望
自由も結局はあくまでひとつの体制であることを著者は明確に語る
資料としては一級品だと僕は思う

ベルリンの壁
それがどこにどのようにあったか明確に語れる日本人が現在どれだけいるのだろうか
壁は東西ドイツの国境にあった
そんな詭弁と奇弁を発する愚か者も現にいる
それが若者ならまだ許容できる
中年はどうだろう
団塊はどうだろう
老害はどうだろう
無知は悲劇の象徴に他ならない

自由は体制だ
だから喪失することだってあり得る
その必然を私たちは忘却してはならない
自由を守る
体制を護る
自らそうする
他国から守られるのでも護られるのでもない
今日本は丁度その分岐点にある
現状認識の欠如も無知と同様
本書はそう教えてくれた
2017-03-23 16:08:06[405]


分断されるアメリカ

『分断されるアメリカ』(集英社文庫)サミュエル・ハンチントン著〈鈴木主税訳〉

トランプ大統領の放言が話題になっている
というよりその発言を専ら暴言として報道しようとするメディアの姿勢に首を傾げる御方もきっとおられるはず…
メディアも所詮はただのサラリーマン集団
個をもっての報道などできる訳がない…

大統領戦の折
アメリカ在住の知人はトランプが勝利するといってはばからなかった
それもひとりやふたりではない
メキシコ移民の問題もあからさまに語ってくれた
いやメキシコについてだけではない…
アメリカが抱える問題
それはアメリカ人の言語と宗教の問題であり同時にヒスパニックに係わる教育と経済に波及する問題でもある
だからトランプの勝利は当然だった
ただ日本のメディアの予測は違った
そして今もなおその総括に着手すらしようとしない

日本人は移民も難民も制度と切り離したところでしか理解できない
自己主張の下手な日本人は移民と難民を自分たちと同じメンタリティーを持つものとして捉えようとする
結局アメリカの問題は他国の問題
トランプ大統領イコール暴言宰相
理解不能な案件はこうして片付けられてしまう

本書はアメリカのナショナル・アイデンティティを明確に位置付ける
そうしてサブナショナル・アイデンティティについて掘り下げていく
宗教によるアイデンティティの形成
言語によるアイデンティティの保持
これらをリンクさせて現代アメリカを見事に語っていく
ある意味ではエキサイティングでスリリングな一面も持つ
これも日本のメディアにはない

広告によって生かされている日本のメディア
専門家でもないタレントを並べて議論の風体だけを形作る
そこから学べることは皆無
日本には個は存在しない
あるのは集団とそれを支える共感性のみ
少なくとも欧米的個は今までもそして今もさらにこれからも存在などしない

個に徹し孤に徹する
この考えは僕の基本だ
先ずは自分の頭で考える
次に現地とコンタクトする
そしてまた頭で整理する
本書はその手助けにもなりうる
2017-03-13 22:08:10[404]


心中侮蔑

キレやすい老人が増えたそうな
そういえば先日も電車内でそれに近い人間を目撃した
自分で自分の命を始末することさえもできない
世の中の役に立つどころかお荷物と化している
それでも医療の発達と善良な血税により生かされ続けている
結局敬老に値する老人はごくわずか
相当に希少価値がある

僕は老人に限らず面前で他人を侮ることなどはしない
安易な笑顔も見せないが怒りを露わにすることもない
心中侮蔑
心はいつも自由だ
自由な心で気の向くまま侮蔑する

例えば自転車通行が禁止されている大阪東部の商店街
そこを疾走する輩はゴミ同然の馬鹿
禁止を示す看板の文字が読めない文盲に違いない
これは別の意味で希少価値ありだ
そこでも僕の心中侮蔑が静かに始まる
とにもかくにも統計的には僕が居住する地域民へのそれが数値としてダントツを誇る
さぞかし名誉なことだろう
飛び上がって大喜びすればよろしい
民度の低い連中にはそれすらの脳力と能力もないだろうが…

とにもかくにも…
僕はトランプ大統領のように放言はしない
いや全くしないわけでもない
言うべきことは言う
伝えるべきことは伝える
但し相手の能力にもよる
F ランクやボーダーフリー等のレベルの低い人間に何を言っても始まらない
言うだけムダ
全くムダ
ムダとムラとムリは避ける
屁の突っ張りにもなりはしない

僕が本気でキレる時
それは自分と自分の家族の生命に係わる時だ
かつて自転車で僕に正面からぶち当たった糞も大阪東部の人間だった
当然僕はぶちギレた
そのかいあって彼は後に太平洋の海に沈んだ

いずれにしても心中侮蔑は心地良い
健康で文化的な生活のためにはこれが一番なのだ
2017-03-06 11:14:09[403]


毒になる親

『毒になる親』(講談社+α文庫)スーザン・フォワード著〈玉置悟訳〉を読了した
著者はアメリカ人セラピストでありインストラクターでもある人物だ

毒になる親
インパクトのあるそのタイトル
タイトルだけではない
本書にはショッキングな事例が数多く挙げられている
理不尽な親ではない
あくまでも毒になる親だ

親と子
溺愛する親もいれば干渉し過ぎる親もいる
過剰な躾を良しとする親もいればその逆をいく親もいる
そもそも親は理不尽なことをやる
僕もそういった理不尽さに傷ついた経験を持つ
僕だけではない
ほとんどの人間は理不尽な親に傷つき、同時にその存在を何とか受容した経験を持つのだと思う
子どもにとって逃避不可能な親という存在
自分自身をコントロールするという意味の貴重な訓練は理不尽な親を親として認識することから始まる
さらに理不尽さは継承される
子どもがその後に親となっても同じこと
だから虐待がいかに犯罪性を帯びていて危険なのかもわかる

毒になる親
親になる前に先ずは大人にならなければならない
毒になる大人
いや違う
大人に成りきれない子ども
そうした子どもが子どもを産み育てようとする
この蔓延が家族のみならず社会全体を壊していく
本書はそこに警鐘をならしている
2017-02-27 12:37:17[402]


あたりまえへの共感

こんな内容の車内アナウンスをご存じだろうか

「私達はお困りの客に積極的に声掛けをしている
よって皆もそういう客を見掛けたら同じようにやってもらいたい」

このアナウンスを聞く度に僕は気持ちが悪くなる

困った客に手を差し伸べる社員
それに対しては給与が支払われる
ただ最近は乗客のクレームにパニクって駅高架下へ飛び降りる程度の低い社員も現れる有様
客が困る前に鉄道会社の社員の中に全くもっての真の困ったチャンがいるのも確かだ

駅で困った客は先ずは駅員を頼りにすればいい
客が他の客に対して困っているかどうかを見極める
そんなことまで鉄道会社に委ねられる筋合いはない…

「とにかく声掛けをしましょう
私たちは仕事としてやります
皆さんには報酬はありません
ただあたりまえを分かち合えばいいんです」

何をか況んや
客にボランティアを推進する鉄道会社のメンタリティーに世間体や建て前という言葉が見え隠れして実に気持ちが悪い

他の客に尋ねられれば例外を除き僕はあたりまえに応える
それはこれから先も変わらない
にもかかわらずそうしたあたりまえに対してまであえて共感を求めようとする…

共感さえしておけばいい
建て前さえ整えればいい
そして口先だけは見事に発達する
口先の共感はいらない
共感しなくてもあたりまえにやる
わざわざ鉄道会社に言われる筋合いはない
2017-02-20 08:22:15[401]


連載小説
短編オムニバス「優雅なるトマトケチャップ」の連載が終了した
連載が始まって4年
バージョン?は単行本になった
バージョン?については現在のところ書籍化の予定はない…

始めた当初は全くの手探りだった…
ただ評価は良かった
誌評などにも何度か取り上げられた
書籍化はそうした積み重ねにより実現することとなった
バージョン?は惰性ではなく自然の流れだった

書いていて苦痛はなかった
むしろ居心地の良さを感じていた
実はバージョン?の構想もなくはなかった
けれどもここで終了を決めた…

始めたものは必ず終わりがある
自然の流れに任せることはあってはならない
それが連載のやり方だと僕は思う
惰性でないものが惰性の性質を帯びる前に引いておく
結局は所詮小説
されど小説なのだ

「優雅なるトマトケチャップ」は多くの人に愛された
いつかバージョン?を始めることがあったとしても…
ただしそれはもはや「優雅なるトマトケチャップ」ではない
新たなものが新たな形で始まっていく…
その期待があるから書ける
たかが小説でもいい
ワクワクできるものがある
だからこそ書けるのだ
2017-02-13 08:15:04[400]


李良枝

過去の芥川賞受賞作品の中でベスト3を挙げよと言われれば…
僕は間違いなく次の3作品を挙げる
森敦「月山」
村上龍「限りなく透明に近いブルー」
李良枝「由熙」
中でも「由熙」は僕の中では極めて評価が高い

僕の手元に「李良枝全集」がある
たった一冊の完結型全集
そこには李良枝という作家の才能が全て込められている
読み手を嫉妬させる程の研ぎ澄まされた文体
そして彼女の突然の死
もし…
もし彼女が生きていたら…
あらゆる言葉を洗練の遥か彼方へと押し上げたに違いない

時々無性に「由熙」が読みたくなる
時々無性に李良枝の言葉に触れたくなる
そして全ては彼女が遺していったものだと改めて気づく

遺された言葉は後世によって育まれる
李良枝は言葉とともに生きている
そう思う
2017-02-06 09:44:19[399]


夢野久作

夢野久作といったらやっぱり「ドグラ・マグラ」
「ドグラ・マグラ」といえばなんたって夢野久作
この公式を知らない御方はもはや読書人ではない
夢野久作は甲山羊二超推奨
赤江漠と並ぶ僕の御師匠だ

僕は学生時代に夢野久作を知った
先輩が「ドグラ・マグラ」を読んでお前も是非どうだと勧めてくれた
但し二、三日 は頭の中がぼおっとするという
ぼおっとしていて更にぼおっとしたかった僕は勧められるまま読んだ
ところがなぜかちっとも頭の中はぼおっとなどしなかった
むしろ冴えに冴えてどうしようもなかった…
このあまりの衝撃は今もしっかり覚えている
だから今でもぼおっとしているなど時は必ず「ドグラ・マグラ」を読む
そして覚醒する

昨年「夢野久作全集第1巻」が刊行された
覚醒を夢見て購入しようと思ったらその価格に驚いた
高級てっちりまたはスッポンコースに軽く匹敵する…
僕はここでまた改めて覚醒してしまった

だがしかしだ
夢野久作は僕の大師匠だ
てっちりやスッポンとは訳が違う
よって覚醒してしまったついでに思い切って購入を決めた

ほぼ半年に一度の定期刊行
今後僕もその都度覚醒する
僕だっていつまでもぼおっとなどしてはいられない
ということだろうか
2017-01-22 15:23:09[398]