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甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


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憂国忌

11月25日
その日は憂国忌にあたる
憂国忌とは…
三島由紀夫並びに森田必勝が自刃した日だ
両者はまさに昭和の武士他ならぬ

2年前のこと
三島由紀夫研究会会員として乃木神社での慰霊祭に初めて参加した
勿論全てが神道形式
祭壇の三島由紀夫並びに森田必勝の遺影に僕は思わず身震いがした
まるで目の前に両者がいるかのように
そして何かを訴えているかの如く

三島は文学者でありれっきとした思想家でもあった
そして行動家でもあった
口先だけの柔な人間にはその行動の神髄など想像にも及ばないだろう

文学者は思想家でなければならない
その思想をあからさまにするのか否かは個人の思惑による
行動も然り
僕は今のところ行動家ではない
これから先も多分変わらない
但し思想家であることには違いない
それを汲み取るのは読者の仕事
思想も信条もない
そんな人間に文学はできない
一方で書き手のそれを類推もできない
それはもはや読者などではない

憂国忌は僕にとって特別な日だ
「お前たち、何やってんだ!」
そんな三島と森田の叫びが聞こえる
それを身体全体で受け止める
いや、そうしようと努める
歯がゆいが今の僕には全くもってそれしかできないのだ
2017-11-20 08:22:32[421]


ベトナム戦争
『サイゴンのいちばん長い日』
(文春文庫)近藤紘一著

ここ数ヶ月でおびただしい数のベトナム戦争に係る書籍を読んだ
その理由についてはここでは伏せておきたいと思う…
少なくとも再来年の夏にはそれが判明するはずだから

ベトナム戦争をどう捉えるのか…
当然それは人それぞれに異なる
僕が考える最も厄介な捉え方は善玉と悪玉に分けて、かつ善玉の主観に立って捉えようとするやり方だ
北の側に立つか
それとも南の側に立つか
いやアメリカの側から捉えるか
はたまたベトコンの側か
時代はそして歴史は単純に動いてはいないし働いてもいない…
当たり前のことだがその当たり前に翻弄されるのも、これもまた脳という得体のしれないメカニズムの仕業に違いない

本書はそうした脳のメカニズムを整然としたものにさせてくれる名著だと僕は思う
少なくともベトナム戦争という極めて混沌としたかつ複雑な歴史的事実については…
1975年4月30日サイゴン陥落の前後を克明に記録
ひとりの人間の生の視線と視点が溢れる迫真のルポルタージュだ
因みに文庫本は1985年刊だが単行本は1975年10月刊
つまりサイゴン陥落の約半年後ということになる…

ベトナム戦争を考えることは実は
アメリカを考えることでもある
そしてアメリカを考えることは日
本を考えることでもある
考えることを止めてはいけない
それはまさに自己放棄だ
ゲームにうつつを抜かしているようではいけないのだ
2017-11-06 12:52:06[420]


「シカシダ君のこ
全作家短編小説集最新巻に収録された「シカシダ君のこと」についての批評が協会から送付されてきた
会員が収録作品を読んで批評する

それが段割りされ一覧として記載されているものだ

因みに僕は他人の作品について批評は一切しない…
取り上げて紹介することはあって
もそれに留める…
そしてまた他人からの批評に応戦することもしない
作品はあくまで個々の嗜好品だ
それにそれに触れたその時の精神状態にも関係する
だからひとり静かにただただ作品とだけに向き合う
それが書き手に対する礼儀だと僕はわきまえている

「シカシダ君のこと」に対しては実に数多くの批評が寄せられた
それらに対してはそれぞれにやはり嗜好が異なるという当たり前のことを当たり前の認識により目を通すことができた

そりゃそうだろう…
全てが同じような書き方の小説はやっぱりつまらない
そんなもの誰も読んでなどくれない
それ以前に手に取ることさえしない
そこは料理と同じだ

嗜好に合わないのならどうぞ他の作家様の作品をお読みください
ただしこちらはこちらで創意工夫は決して怠らない
そして新しいものをさらに積極的に取り入れていく
甲山は本家甲山流を止めることなどできないのだ
2017-10-16 07:14:04[419]


神話を辿る旅
今年…
春に熱田神宮
そして夏には久しぶりに伊勢神宮に参拝をした
いずれも神話を辿るという特別なモチーフによるものだ

古事記に日本書紀…
ここには壮大なロマンが秘められている
しかし未だ完全理解には至らない
それが残念で悔しくてたまらない

神話など所詮は虚構だと蔑む人がいる
ではと居直れば…
人間の日々の生活などほとんどが虚構ではないのか
本音で生きる人間を見つけることこそが至難の業だ
虚構にこそロマンがある
いやむしろ記紀の虚構性を一体誰がどこで明確に実証したというのか
ゴミのようなくだらない戯言など言わない方がよい
お花畑は頭の中だけで十分でございます

どこの国にも神話がある
どこの国にもロマンがあってよい

ロマンをロマンと感じ得ないのなら人生を捨てたようなもの同然だ


神話を辿る旅は続く
ロマンが果てしなく永遠に続いていくように
2017-10-02 00:44:15[418]


取材と資料
『津山30人殺し』(新潮文庫)筑波昭著

横溝正史の推理小説に『八つ墓村』という名作品がある
角川映画としてもよく知られるこの作品…
小説のモチーフとされるのが昭和13年の春の岡山県のある村でおこった津山事件だ
事件の犯人は都井睦雄
短時間のうちに30人もの命を奪うといういわば大量殺人…
本書はこの事件の概要を詳細に記す
質の高い良書だ

この事件の背景には夜這いという因習があったのではと本書は語る
因習は地域を縛る
そして人をも縛る…
因習だけがひとり歩きする
人はそれに追随する
そこには疑念も疑惑も不信も隠蔽される
因習なくして日本は語れない

綿密な取材と豊富な資料
その取扱は難しく大変な労力を要す
本書の質の高さはそれらの見事な取扱にある

僕はルポルタージュは書かない
いや書けない
僕にも幾つかの事柄についての資料はあるがまだまだ取扱ができていない
これは才能ではない
訓練だ
そう自分に言い聞かせている
2017-09-19 00:00:05[417]


本音を書くこと
『絶歌』(太田出版)元少年A

当該書籍を購入してから数年経つ
購入時に購入することそれ自体を珍しくも公言した
理由は至極簡単だ
賛否が大きく割れていた世論を少しばかり実感したかったからに過ぎない…

酒鬼薔薇事件の衝撃は未だ鮮明だ…
しかし僕は心情的に加害者並びに被害者のいずれの立場にも立たない
元少年Aを糾弾したところであるいは被害者やその家族を哀れんだところでそこから一体何が醸されるというのだろう
事件は凄惨を極めたが故に記憶に留まっている
結局は当事者以外は第三者であって傍観者に過ぎない…

この本がくまなく筆者により書かれたものなら書き手としてのその才能は際立っている
もし筆者によるものでないならパフォーマンスに優れた自己顕示欲の塊だといえる…

全ての人間はそう簡単に自らの本心を語らない
人間は常に自分をオブラートに包みながら生きている
筆者によって発信された全ての言葉や表現を繋ぎ合わせても彼の本心に到達することは決してできない

人間は自らをいかに脚色するかで苦心する
脚色しない人間などいない
その意味で元少年Aも例外ではない

書き手が何時でも本音を書くか
書く訳がない
そんなユートピアは存在しない
2017-09-04 09:44:49[416]


良い導き手
『霊と肉』(講談社学術文庫)山折哲雄著

古典の講読には良い導き手が必要だ
それもテーマごとにとなればかなりの贅沢になる
受験の古典は虚しいが本来の古典とは教養と知識と知恵の宝庫だ
自らが今何を古典に求めるのか…
それによりアプローチは異なる
だから贅沢ではあってもテーマごとの導き手はやはり必要だといえる

人間は見えないものを恐れ同時にそれに何らかの期待を寄せたがる
ところが科学が進歩した現代は恐れも期待も相当に減退している
だからこそ恐れと期待の真髄を掘り起こす良い機会が必要なのだ

本書はそうした期待に十分に答えてくれるものだ
テーマは霊と肉
目に見えるものと見えないもの
それらを古典の世界に求めて人間そのものを洞察しようと試みる
まさしくとっておきの導き手だ
2017-08-21 10:45:57[415]


甲山流休み一考察
僕には夏休みがない
正確にいえば夏季休暇といったようなまとまった期間の休みがない
もちろんお盆休みだってない

甲山は一体何時休んでいるのかといったお節介な質問をよく受ける
何時休もうが僕の勝手だ…
基本的に僕はまとまった休みというものを取らない
仕事で一段落ついたら休む
疲れが溜まったらまた休む
次の仕事までの充電として休む
扁桃腺を腫らし熱が出たら休む
だから尊い世間様とはおおよそ休みが異なる
そこでこれまた尊い世間様から随分好奇な目で見られてしまう訳だ

世間様がせっせと意義深いお仕事をされておられる中で僕は時々冷えた麦酒を飲む…
世間様が日本経済のさらなる発展のために邁進されている間に僕は旅行に出かける…
そしてそこで買う意味不明なひんしゅくさえもしっかりネタにする

休みは自分のためそして家族のためにある
夏休みも全く同じだ
僕は尊くない
だから尊い世間様とご一緒では何分申し訳ない
凡人たる僕は凡人なりに脳ミソを駆使しながら色々考えているのだ
2017-08-07 06:45:45[414]


法医学
『死体格差-解剖台の上の「声なき声」より』(双葉社)西尾元著

生きている人間はいつか必ず死ぬそれは必然で逃れようはない
だから人は死を恐れ忌み嫌うのだろう
さらに人はその死の選択について特別な事情のない限り自由とは言えない
少なくとも死に方に選択の余地はない
死を遠ざけたい心情はそこにも要因がある

本書は法医学という見地から生々しく死を捉える
必要以外の情緒を排して死を真っ直ぐに捉える
それは極めて斬新でかつ新鮮だと思う
さらに読み手に深い考察すら与えてくれる

作家にとって死は作品を通してのみ身近なものになり得る
僕も作品の中では随分人を殺めた
当初の後ろめたさも今はほとんどない
もちろんそれはそれで仕方がない
ただリアルな死はそうはいかない
やっぱり恐れの対象であり…
忌み嫌うべき対象でもある

僕もいつか死ぬ
幸せな死とは何だろう
考察はまだ始まったばかりだ
2017-07-15 08:38:44[413]


シカシダ君のこと
『全作家短編集16巻』に新作「シカシダ君のこと」が掲載された
シカシダ君はもちろん小説上の架空の人物だ

作品では大人の欺瞞を隅々に描写させた
大人の欺瞞…
それが集約された箱物組織とはまさしく学校だと僕は思う

教師は対面を取り繕う
厄介なのは自らの能力や所作は社会から良好な意味で認知されていると思い込んでいることだ
実はそんなことはない
教師は平気で嘘をつく
対面のためなら平気で事実を捻じ曲げる
それらによる被害者は児童であり生徒であり社会であることを知らない
いや知っていても知らないふりをする
これが欺瞞だと僕は言うのだ
教師なんて所詮そんなもの
そんなものしか教師になっていない
まともな人間は教師などにはならないのだ

シカシダ君は大人の欺瞞によって抹殺される
シカシダ君を葬ったのは実は先生だった
にも関わらず欺瞞をもて遊ぶ先生…
僕はより多くの欺瞞的な学校の先生にこそこの作品を是非とも読んでもらいたいと心からそう願っている
願いは届かないだろうけど…,
2017-07-01 13:29:55[412]