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甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページモバイルにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


■オフィシャルページモバイル


熊谷守一
3月
東京国立近代美術館で熊谷守一を観てきた
熊谷守一…
山崎努と樹木希林
熊谷守一夫婦を演じた両俳優
映画を通して熊谷守一なる画家を知ったという人も多いと思う

光と影
絵画でしか表せない世界
光と影
これを如実に表現した絵画は熊谷守一以外に僕は知らない

君は見事に勉強不足だね
熊谷守一のその言葉に僕は何ひとつ抗弁できない
君は僕の世界にどれだけ迫れるのかな
その言葉にもまた僕は茫然とするしかない

熊谷守一に「轢死」という作品がある
今回この作品を目の当たりにして…
どうしても僕は彼の光と影を疑わざるをえなかった
なぜか
僕の日常にはもはや光も影もない
それを思い知ったからだ

光と影
実はそれは誰にでもある
それが果たして光なのか
はたまた影なのか
その意識に僕たちは到達していないのではないか
僕が自らの日常に光と影の喪失を主張するのはそういう理由があるからなのだ

熊谷守一
そして光と影
僕という人間
そこに厳然とある光と影
彼の光と影を取り込む
その前に僕という人間の光と影を知る
知れ
知るべきだ
熊谷守一はそう語った
2018-04-02 08:59:14[430]


平成29年度
平成29年度が間もなく終わる
年度を一年の周期の起点とするのは以前からの僕の習慣だ
春は始まりでもあり終わりでもある
起点としてはとても記憶に留めやすい…

創作を始めて10年
レーベルを立ち上げて3年
今年度はひとつの節目に当たった
初めての翻訳にも挑戦した
独自の視点で日本人を論じたもの「日本的馬鹿者行動学」
J.D.マトリ氏の著作だ
やりたいことはやれている
やるべきこともやれている

新しい年度の話もしよう
創作はもちろん続く
しかし変化も大切だ
変化には準備も要る
新しい年度は準備の一年でもある
色々な場所に出掛けよう
色々な人の話を聞こう
色々な書物に触れよう
そしてしっかりと物事を考える
考えることを捨てない
それこそが創造であり創作への唯一の道だからだ

人間関係の整理も怠らない
些末で煩わしい関係は遮断する
相手が組織であっても同じこと
時間は極めて貴重だ
それに精神衛生にも関わる
そうやってスリムにスマートに生活することも良い

新しい年度
引きずるべきものはきちんと引きずる
変えるべきものはきちんと変える
おめでたさだけでは当然足りない
新しい年度
新しいこと
そうなればいい
2018-03-19 00:45:35[429]


美術館一考察
兵庫県の大谷記念美術館に藤田嗣治を観に出かけた
題して本のしごと
彼が手掛けた数多くの装丁並びに書簡等など
藤田ファンの僕にはその新たな側面を垣間見る絶好の機会だった…
没後50年にあたる今年は山王並びに京都の美術館でも藤田嗣治展がそれぞれ開催される
楽しみは尽きない

大谷記念美術館は初めてだったが鑑賞者のマナーの悪さには随分と恐れいった次第だ
明らかに藤田ファンと分かる人たちを除いては鑑賞に来ているのかお喋りしに来ているのかまるで見当のつかない醜態…
順序も見事に勝手…
それが全て老害とくれば結局は諦念せざるを得ない
職員もただただ突っ立っているだけの役立たずではどうしようもない
それこそやる気のない人間ではなく従順かつ狂暴な番犬で十分だ

藤田は実に良かった
僕の藤田に対する知的欲求をしっかりと満たしてくれた
しかし老害は駄目だ
敬老などとは程遠い
まさに駆除に値する

仮に敬老割引があったならそれは美術館として辞めた方がいいだろ

美術館はただ鑑賞する場ではない
鑑賞を通して自分と向き合う場でもある
それが分からない人間は来るべきではない
2018-03-05 00:00:43[428]


日本的馬鹿者行動学
J.D.マトリ氏…
彼こそまさに知る人ぞ知る市井の日本人論研究者だ
加えて日本の教育の現状について
も詳しい
今般彼の著作を日本語訳にして出版することにした
それが『日本的馬鹿者行動学』だ

僕にとって初めての翻訳になる…

馬鹿者は今や珍しくも何ともない
巷にはそれらが溢れ返っている…
そうした馬鹿者を類型化して其々を詳細に論じる
マトリ氏はまた日本の教育にも鋭くメスを入れる
はっきり言っておよそ一年に渡っ
ての翻訳の最中でも決して飽きることはなかった
それ程までマトリ氏の視点は鋭い

英語から日本語へ
しかも小説ではなく随筆でもなくれっきとした評論文
マトリ氏の日本語は極めて堪能だ …
だがやはり母語の方が客観的な記述についてはやりやすいと話す

とにもかくにも是非とも手に取って欲しい一冊だ…
現在の日本
これからの日本
それらがこの中に充満している…

『日本的馬鹿者行動学』
J.D.マトリ著
甲山羊二訳
僕の個人レーベル「まきば出版」から間もなく発行される
2018-02-18 23:59:09[427]


闇への欲望
『下山事件 最後の証言』(祥伝社
文庫)柴田哲孝著

闇に葬られた事件…
戦後史の最大の謎とされる国鉄総裁下山定則轢死事件
本書はそれを取り扱ったノンフィクションかつ作者との因縁が作者自身の手によって暴かれるという極めて特異な作品だ

僕は当該事件について詳細な知識がある訳ではない
またそこに並々ならぬ興味があった訳でも決してない
松本清張氏のように推理と推論を重ねてまとめるという意図もない

けれどもそこには人を惹きつけて止まない何かがある
不謹慎だが人の不自然極まりない死とはそういうものを必ずと言っていい程含んでいる

人間模様
男と女
権力と金…
闇は深ければ深いほど周囲を虜にする

どんな人間にも必ず闇はある
人間が人間を魅了する
それもこれも闇あってのこと
闇への興味は尽きることはないのだ
2018-02-05 00:29:11[426]


長島愛生園
昨年9月のこと
岡山県にあるハンセン病国立療養所長島愛生園を初めて訪問した
正直このことについて記事にするのは随分躊躇いがあった
それはなぜか
それはハンセン病の歴史とそこにあった様々な闘いを今なお僕自身が十分に理解していないからだ

愛生園を訪れたのは決して物見遊山などの理由からではない…
そこに至るまでには実にかなりの数の資料に触れた
初代園長の光田健輔氏の随筆もそのひとつだ
愛生園でひとりの男性職員に彼の評価を尋ねてみた
「医師としては優秀だったと思う。ただ科学者としては決してそうではなかった」
職員はそう応えてくれた

限られた時間での愛生園訪問
そこには目の当たりにはできない深い歴史が今も流れ続けている
歴史は嘘をつかない
たとえ隠蔽を試みたとしても神は全てを知っている
では人間ができることとは何か
それは神の領域に立ち入ることではない
歴史に対して執拗に考察を与えること
そうして未来への適応を志向すること
その結果を丸ごとしかも確実に次世代へと引き継ぐこと
それしかない
2018-01-23 09:40:41[425]


『むらまつり』
新作掌編小説『むらまつり』が「全作家機関誌108号−掌編小説特集−」に掲載された
ある村に残る古くからの因習をテーマにしたものだ…
実はこの作品で僕はひとつのチャレンジを試みることにした
それは自らの創作による手毬唄をそのまま引用するというものだ…
もちろんその内容も因習に基づくものである

手毬唄と呼ばれるものは大体の地域に今なお存在する
横溝正史の小説に『悪魔の手毬唄
』という名作がある
そこではある手毬唄が事件解決のきっかけになる唄として実に巧妙に引用されている
僕の場合はそれを完全に倣った訳ではない
ただし村の因習を語るひとつの方法として取り入れるきっかけになったことだけは間違いない

因習はどこにでもある…
それは地域における世間と直結している…
因習は人間を取り込むものであると同時に排除するものでもある
世間もまた同じだ

僕たちは社会と繋がりながら世間とも繋がっている
たとえそれが薄情で偏狭で歪んだ社会であってもまた薄気味悪い世
間であったとしても…

薄情で偏狭でしかも歪んでいて更に薄気味悪いのは何も社会や世間だけではない…
社会と世間を根底から下支えしている人間がその最先端にいる
つまりは因習など人間によって生み出され継承されていくのだ

因習は都会にもある
因習はすぐ隣にある
因習は人間そのもの
因習とは所詮はそういうものなのだ
2018-01-09 00:07:12[424]