MyBlog Ver1.40



甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


■公式ホームページ


妖精
イエイツによる『ケルト妖精物語
』を初めて読んだ
司馬遼太郎のアイルランド紀行がそのきっかけだ…

妖精とは一体何か…
それを迷信だとか伝説だとかのレベルで片付けてしまうのは残念だ
妖精は生きている
確かに生きている
それは人々によって生きている…
神話の神々が今もまだどこかで息づいているように…
妖精もまたどこかで生きている

妖精物語によって僕の中に妖精が生きることになった
これは大きな収穫だ
妖精は律儀だしきちんと約束を守る
日本の妖怪とはまた少し異なる
それはある意味ではアイルランドにおける倫理的な存在ということになるのだろうか
いずれにしても新しい感性なるものがこうした妖精によってもたら
されるとしたら…
それもまた意義深い
それに相当に失礼ながら妖精はかなりの超ド級のSだ
そんな妖精に親近感を抱く僕はやはり変なのだろうか
そんなはずはない
2018-06-18 06:52:10[435]


加西鶉野飛行場跡
先日初めて兵庫県加西市を訪ねた…
そして鶉野飛行場跡並びに今も残る施設を見学した
四年前から始めた「戦後を辿る旅
」の一環としてだ

鶉野飛行場はかつて姫路海軍航空隊基地のあった場所として知られる
白鷺隊と名付けられた特攻隊は、ここで兵を募り、鹿児島の串良基地から飛び立った
特攻隊…
海に沈んだ若者
今は英霊として静かに眠る

ボランティアスタッフの案内に従い、民家の下の防空壕も見学した
そこには未だ人の息遣いが残る…
生きるまたは生きようとする本能
、さらには何かを必死に守ろうとする執着と集中は、人に別の意味での新たな生命を吹き込んでいく


「戦後を辿る旅」は決して物見遊山などではない…
更には平和を祈るだけのお花畑ツアーなどでもない
それはまさに人間の究極の思いを肌で感じ取るもの
これが「戦後を辿る旅」の趣旨だ

スマホでゲームのイカれたサラリーマンやボンクラ学生には人間の生きる本能など分かるはずもない
活字に目を通さない無能派にももちろん理解されない
それでも歴史は決して嘘をつかない
人間を裏切ることもない
旅はまだまだ続いていく
2018-06-04 00:14:18[434]


兵庫県立美術館
ここ数年で色々な美術館を巡った
なかでも兵庫県立美術館は僕のお気に入りのひとつだ
なだらかな勾配を海に向かってゆっくりと降りていく
間もなく未知なる空間へ…
そんな期待から徐々に膨らんでいく

途中にあるこじんまりとしたお店に立ち寄ってみる
昼は定食
夜は割烹風居酒屋
味はもちろんのことおもてなしの心意気が嬉しい…

当然のことながら美術館への道程は自宅を出発した時から始まる
それはもはや単なる過程ではない
全ての思惑が館内へ持ち込まれてしまうことになる

兵庫県立美術館で頂いた藤田嗣治展のポスターは我が家の家宝だ
たかがポスター
されどポスター
印象はそうやって受け継がれる

たかが美術館
されど美術館
では決してない
美術館は芸術を育てる
そして人間をも育てる
美術館とはそういう場所なのだ
2018-05-21 06:22:31[433]


与勇輝
人形作家与勇輝
作品は全て人形でありながらもはや人形ではない
京都高島屋で初めて展覧会を観た
そこには生き生きとした人間の息遣いがはっきりと聞こえた

彼を知ったのはひょんなきっかけだった
所ジョージの世田谷ベース
そして徹子の部屋
所氏は自分に似せた与作品を絶賛…
徹子の部屋では与氏本人が作品と共に出演していた

作品をこしらえる
それは文学であれ絵画であれ陶芸であれ生命を吹き込む作業に他ならない
与作品から響く生命の鼓動
ここにこそ感動の源がある

人形作家与勇輝
彼に生命を吹き込まれた作品
感動とは決して押し付けではない
自然であり必然であるがままでなければならない
その原点を僕は思った
2018-05-06 23:59:07[432]


沢田教一
沢田教一
『ライカでグッドバイ』
僕はこの本で彼に目覚めた
沢田教一そしてベトナム戦争
ベトナム戦争そしてその後…
彼ほど本気で平和を祈り続けた写真家を僕は知らない

先月のこと
京都高島屋にて沢田教一の写真展が開催された
そこには沢田教一が体感した失望と絶望とがあり、同時に沢田教一
がようやく見出した切なる希望が充満していた

切なる希望…
それは彼が妻に送った最後の手紙から見て取れる
そこには普段彼が用いることのなかった「運命」の二文字があった

運命
この言葉と彼の死を結びつけるのは簡単だ
でも僕はそうはとらない
彼は失望と絶望の彼方に何かを見つけた
それは自らの内に潜む覚悟だったのではないか

沢田教一が運命の二文字とともに決した覚悟
一体全体覚悟とは何か
目覚め悟る
それはぼんやりとした目覚めや悟りではない
確信と自信に満ち満ちた目覚めと悟り
平和は希望と隣合わせだ
但しそれは覚悟を伴う
覚悟のない平和は言葉の遊びに過ぎない
運命の二文字は沢田教一が遺したまさに含蓄あるメッセージに他ならない

運命と覚悟
両者ともにもはや素通りなどはできない
沢田教一が生きていたならそう語るだろう
いや既に彼は語っていた
ライカを通して…
しかも戦場から
人々の生と死を通して…
さらに彼は語り続けるのだろう
2018-04-16 00:00:07[431]


熊谷守一
3月
東京国立近代美術館で熊谷守一を観てきた
熊谷守一…
山崎努と樹木希林
熊谷守一夫婦を演じた両俳優
映画を通して熊谷守一なる画家を知ったという人も多いと思う

光と影
絵画でしか表せない世界
光と影
これを如実に表現した絵画は熊谷守一以外に僕は知らない

君は見事に勉強不足だね
熊谷守一のその言葉に僕は何ひとつ抗弁できない
君は僕の世界にどれだけ迫れるのかな
その言葉にもまた僕は茫然とするしかない

熊谷守一に「轢死」という作品がある
今回この作品を目の当たりにして…
どうしても僕は彼の光と影を疑わざるをえなかった
なぜか
僕の日常にはもはや光も影もない
それを思い知ったからだ

光と影
実はそれは誰にでもある
それが果たして光なのか
はたまた影なのか
その意識に僕たちは到達していないのではないか
僕が自らの日常に光と影の喪失を主張するのはそういう理由があるからなのだ

熊谷守一
そして光と影
僕という人間
そこに厳然とある光と影
彼の光と影を取り込む
その前に僕という人間の光と影を知る
知れ
知るべきだ
熊谷守一はそう語った
2018-04-02 08:59:14[430]


平成29年度
平成29年度が間もなく終わる
年度を一年の周期の起点とするのは以前からの僕の習慣だ
春は始まりでもあり終わりでもある
起点としてはとても記憶に留めやすい…

創作を始めて10年
レーベルを立ち上げて3年
今年度はひとつの節目に当たった
初めての翻訳にも挑戦した
独自の視点で日本人を論じたもの「日本的馬鹿者行動学」
J.D.マトリ氏の著作だ
やりたいことはやれている
やるべきこともやれている

新しい年度の話もしよう
創作はもちろん続く
しかし変化も大切だ
変化には準備も要る
新しい年度は準備の一年でもある
色々な場所に出掛けよう
色々な人の話を聞こう
色々な書物に触れよう
そしてしっかりと物事を考える
考えることを捨てない
それこそが創造であり創作への唯一の道だからだ

人間関係の整理も怠らない
些末で煩わしい関係は遮断する
相手が組織であっても同じこと
時間は極めて貴重だ
それに精神衛生にも関わる
そうやってスリムにスマートに生活することも良い

新しい年度
引きずるべきものはきちんと引きずる
変えるべきものはきちんと変える
おめでたさだけでは当然足りない
新しい年度
新しいこと
そうなればいい
2018-03-19 00:45:35[429]


美術館一考察
兵庫県の大谷記念美術館に藤田嗣治を観に出かけた
題して本のしごと
彼が手掛けた数多くの装丁並びに書簡等など
藤田ファンの僕にはその新たな側面を垣間見る絶好の機会だった…
没後50年にあたる今年は山王並びに京都の美術館でも藤田嗣治展がそれぞれ開催される
楽しみは尽きない

大谷記念美術館は初めてだったが鑑賞者のマナーの悪さには随分と恐れいった次第だ
明らかに藤田ファンと分かる人たちを除いては鑑賞に来ているのかお喋りしに来ているのかまるで見当のつかない醜態…
順序も見事に勝手…
それが全て老害とくれば結局は諦念せざるを得ない
職員もただただ突っ立っているだけの役立たずではどうしようもない
それこそやる気のない人間ではなく従順かつ狂暴な番犬で十分だ

藤田は実に良かった
僕の藤田に対する知的欲求をしっかりと満たしてくれた
しかし老害は駄目だ
敬老などとは程遠い
まさに駆除に値する

仮に敬老割引があったならそれは美術館として辞めた方がいいだろ

美術館はただ鑑賞する場ではない
鑑賞を通して自分と向き合う場でもある
それが分からない人間は来るべきではない
2018-03-05 00:00:43[428]


日本的馬鹿者行動学
J.D.マトリ氏…
彼こそまさに知る人ぞ知る市井の日本人論研究者だ
加えて日本の教育の現状について
も詳しい
今般彼の著作を日本語訳にして出版することにした
それが『日本的馬鹿者行動学』だ

僕にとって初めての翻訳になる…

馬鹿者は今や珍しくも何ともない
巷にはそれらが溢れ返っている…
そうした馬鹿者を類型化して其々を詳細に論じる
マトリ氏はまた日本の教育にも鋭くメスを入れる
はっきり言っておよそ一年に渡っ
ての翻訳の最中でも決して飽きることはなかった
それ程までマトリ氏の視点は鋭い

英語から日本語へ
しかも小説ではなく随筆でもなくれっきとした評論文
マトリ氏の日本語は極めて堪能だ …
だがやはり母語の方が客観的な記述についてはやりやすいと話す

とにもかくにも是非とも手に取って欲しい一冊だ…
現在の日本
これからの日本
それらがこの中に充満している…

『日本的馬鹿者行動学』
J.D.マトリ著
甲山羊二訳
僕の個人レーベル「まきば出版」から間もなく発行される
2018-02-18 23:59:09[427]


闇への欲望
『下山事件 最後の証言』(祥伝社
文庫)柴田哲孝著

闇に葬られた事件…
戦後史の最大の謎とされる国鉄総裁下山定則轢死事件
本書はそれを取り扱ったノンフィクションかつ作者との因縁が作者自身の手によって暴かれるという極めて特異な作品だ

僕は当該事件について詳細な知識がある訳ではない
またそこに並々ならぬ興味があった訳でも決してない
松本清張氏のように推理と推論を重ねてまとめるという意図もない

けれどもそこには人を惹きつけて止まない何かがある
不謹慎だが人の不自然極まりない死とはそういうものを必ずと言っていい程含んでいる

人間模様
男と女
権力と金…
闇は深ければ深いほど周囲を虜にする

どんな人間にも必ず闇はある
人間が人間を魅了する
それもこれも闇あってのこと
闇への興味は尽きることはないのだ
2018-02-05 00:29:11[426]