MyBlog Ver1.40



甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


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窃盗世代とその子供たち
学生の頃のことだ
スーパーのレジ打ちのバイトを半年ばかりやったことがある
レジには実に不特定のお客が多数やって来る訳だが…
中でも印象的だったのが子供連れの若い母親の言動

「この子が勝手にやったんです」

精算前であるにも関わらずお菓子のパッケージは既に子供によって
無残にも開封されてしまっている

そうした不始末をどの母親も決ま
って同じ台詞により誤魔化すのには随分驚かされた

親の目が働いていないはずはない
子供を叱れない親
叱られない子供…
窃盗は癖としてこの頃から既に身についていく訳だ

あの時の子供も今やそれなりに大人になっている…
年齢でいけば30代後半から40代前半にかけての範囲
僕が通勤途上でよく見かけるサラリーマン世代ということになる

そこで符合する…
彼らの子供たちが丁度10代半ば…
窃盗世代に育てられた若者がいる
スマホにイヤホン
スマホから目が離せない若者達…
窃盗世代もまた所業は変わらない
ホームからの転落や電車との接触などの事故は実はその大半は窃盗世代やその一味たちによるものだ

転落事故や接触事故は日常茶飯事
で時々僕もその目撃者になる訳だ

もちろん救いの手は差し伸べない
救うべき命か否か
ここは慎重かつ十分な議論による

更には…
ところ構わず食べ物を貪り食い散らすのもまた連中だ
実に下品極まりない

まだある
事故を起こしても直ぐに逃亡する
捕まれば今度は詭弁をのたまう
実に下等極まりない

「この子が勝手にやったんです」

やはりだ
これ程の名台詞を僕は知らない…

台詞を吐いた母親達はもはや老人

台詞を生み出したのと同等の知性で老後を過ごしているのだろう
気の毒と言えば確かに気の毒だ…

日本人は劣化した
それはさらに進んでいくのだろう
そうした歴史的変遷を見れるのもまた生きる上での糧となり得る

群れをなす窃盗世代とその子供達

実は彼らはお菓子を勝手に盗んだだけではなかった
彼らは日本から知性までも窃盗し
、延々とそれを放逐しているのだ
2018-11-19 07:07:17[445]


平田篤胤
本居宣長を松阪に訪ねたのは昨年の冬のことだった
そこから小林秀雄の名著『本居宣長』を再び読み返したのが今年…
自らの能力の無さに嘆きながら、そこからようやく平田篤胤に辿り着くことができた

本居宣長についてはまだまだ勉強不足も甚だしい…
にも関わらす平田篤胤とはこれまた何とも厚かましい限りなのだが
、僕の知的好奇心がどうしても譲らないのだからやはり仕方ない

平田国学は難解だ
霊魂はやはり気にはなるがその真髄に全く至らない

だがしかし僕にとって人となりに
ついては本居宣長より平田篤胤の方に魅力を感じる
実はそれは彼の生い立ちにある…
不遇の少年青年時代は平田国学の柱にかなり影響しているはずだ
学問も自説もまた文学も内面に反するものは決して露呈されない
それは断言できる

平田篤胤を読む
平田篤胤を知る
知的好奇心は貪欲が良い
ここに導き手がいればなお良い
これも断言できる
2018-11-05 07:08:00[444]


秋休み
今年は初の秋休みを計画していたが見事に頓挫した…
計画していた期間の前に体調を崩してしまったからだ
これにより秋休みと目論んでいた日程は普段通りのスケジュールへ
としっかり収まった

夏休みはいらない…
特に最近は猛暑で酷暑で激暑故に体調管理が半端ない
昨年は夏の無理が祟って秋にはヘルペスで苦しんだ
「あんた、バタバタせずにちょっとゆっくりなさい」
ドクターストップ!
今年は今年で馬車馬に近い仕事量
そうして秋にダウン
どう考えてみても秋休みは必要だ


他人があくせくと働く中で休むというのは罪悪が伴うというのが世間一般の感情らしい
僕の場合は心配無用
世間一般の感情は僕には全くない
だから罪悪より快楽が伴う訳だ…

だが、しかしだ…
神はなかなか僕の考える快楽を許してはくれない
せいぜいスポットで平日の休息を与えてくれるのみ
計画通りにはなかなかいかない

春休みは必要
夏休みは不要
秋休みは必要
冬休みは不要…
夏はエアコンのもとでせっせと仕事をこなす
冬も暖房のよく効いた場所でやはりせっせと仕事をこなす
嗚呼憧れの秋休み
来年こそはとただ祈るばかりだ
2018-10-22 00:00:47[443]


ヒステリックな貴方へ
世の中には他人の上げ脚をとることに夢中になる人がいてそれがまた何かと話題になる
特定の誰かを意図的に攻撃する場合はされる側も反撃の権利はある…
しかし自らの思想信条に基づいての論理の展開はその限りではない…
そうした論理に反論するなら論破するだけの理論武装が要るはずだ…

ところが最近は違う
ヒステリックな反撃、ヒステリックな反論、仲間を引き連れての反撃、声を荒げるだけの反撃、これらが言葉の含蓄を喪失させていく…

元来より日本人には議論も対話も皆無だと言っていい
欧米の受け売りのみで自らの知性を伸長させてきた日本人に自らの論理を持てというのは酷なことだ…
ヒステリックでなくても結局は感情が全てを優先する
これではまともな議論にも対話にもなるはずがない…

何でもかんでもごちゃまぜにして
政治に結びつけるのもまた昨今の気味の悪い傾向だ…
お前は右だとか右がかっていると
かは余計なお世話だ
僕は僕の理論により生きている…
そこから発するあらゆる言葉には全責任を負っている
勝手に中指を立てながら喚き散らすようにヒステリックな発信をしているのではない…

あまりにそうヒステリックになると頭に血が昇り過ぎていずれ大変なことになりますよ
いちいち人の言葉に上げ脚をとっていると貴方自身の言葉もいずれ失われていきますよ
何なら良いクリニックでも紹介してあげましょうかね
もちろん他人ごとよ!

いやいや
そんなことにかかずらう暇はない
それより
健康で文化的な生活を希求すべし
健康で文化的の意味…
ヒステリックな貴方にはきっと理解できないでしょう
脳は嘘をつかないさ
2018-10-08 11:44:47[442]


実学の論理
先日鶴浜にある東京インテリアに行った
ちょっとした家具を物色するのが目的だったが店内の整然とした雰囲気に正直驚いた
その向かいにIKEAの店舗がある…
東京インテリアの送迎バスまで少
々時間もあったのでちょっと覗いて見ることにした
結果はまさに百聞は一見に如かずだった

先ずは客層が極めて悪い
乳母車が堂々と滑走する
乳飲み子ではなく幼年期にある子供はそこではもはや殿様に近い
しかし所詮はおバカ殿だ
いつまでも乳母車では脳の発達に問題が生じてはこないか
物を食べながら商品を触りまくる
親も親なら子もまた子だ
やはりDNAは裏切らない

家具を物色する僕たちに雑貨は不要だ…
だから早々と引き上げてしまった
それにしても商品はともかくも実
に酷いものを見た
今回はIKEAを例にとっているが、
最近では普段の通勤も含めて出掛けた際の精神的肉体的疲労感は半端ないものがある
それは崩壊寸前の人間との遭遇による…

疲労を覚えつつも鍛錬と研究の為にあえて直視する
躾のできない親を見る時…
その親の子を見る時…
或いはそれらを彷彿させる時…
更にはイカれた大人を目の当たりにする時…
そういう時は人間の崩壊と同時に国家の崩壊も憂う

東京インテリアとIKEAでもこれだ
人の振り見て我が振りを省みる…
本来的な実学とはこういうものだ

こんなことを書くといつものように必ず文句が来る
あなたはなぜ上から目線なのかと

僕は上から目線で人を見ていない

僕は正面の次には遥か真上から人を見ているのだ…
文句をタラタラ言う御方は結局僕のことを全く知らないに等しい…
所詮は御方もその程度なのだろう
2018-09-17 19:30:59[441]


日本その日その日
今般ある機会があってモースの著
作を初めて読んだ

『日本その日その日』全3巻
(東洋文庫)石川欣一訳

モースといえばあの大森貝塚を発見したことでよく知られている
だがしかし彼は考古学者ではない…
彼は市井の収集家であり海洋生物の研究者であった
さらにその目は鋭く数々のスケッチをも残している

この本には明治間もなくの日本の姿が実に克明に描写されている
結論を早めると…
明治という時代と150年経った現
代と確かに文化は大きく異なる
しかしながら日本人の心象や性根はいささかも変化はしていない

相手の気持を察する独特の心情
ここで間違ってはいけないのは、特に外交において相手はこちらの心情など微塵も察することなどないということだ…
忖度という言葉が度々使われるが
、それも日本人どうしの持ちつ持たれあいからくる
悪い言葉で言えば、寄り合い的かつ談合的心情ということになる

境界線や国境線を踏み込んだ相手方船舶などは黙って沈めてしまう…
無為な話し合いを持ち掛けない
無為な話し合いにも応じない…
そういう訓練は150年もの間には、
一切なされることなく至っている

この本は実に貴重な資料だと思う
時々ページをめくる
これからの日本が網羅されている
2018-09-03 07:07:20[440]


長編小説
新たな作品の出版が再び決まった
約300ページ
原稿用紙にすると約500枚
5年掛かった

『byebye 君が来た道 僕が行く道』

早ければ年内
遅くとも年度内には出版となる…

既にゲラは届いて初回校正は終了
作者校正は大仕事…
自らの才能の無さと技術の稚拙さと向き合う
これがかなりキツイ

自主レーベルからの出版はこれで4冊目となるが、長編は初めてだ
『Shizuku』
『優雅なるトマトケチャップ』
『日本的馬鹿者行動学(翻訳)』
そして今回の作品…
是非ご期待あれ!!
と言いたいところだが仕事は山積み
校正はまだまだ続く
表紙や色彩について
文字とのバランス…
書くことだけでない
それに実に多くの人がそこに関係してくる
独りでは何ひとつできない

自作を無惨に扱うアーチストは最低の輩だと僕は思う
そういう話を聞くと実に腹立たしい
感謝の欠片もない
感謝の念もセンスのひとつ
才能や技術だけでは表現し尽くせないものが必ずある

さてさて大仕事
大仕事だが楽しい
大仕事だからこそ楽しい
大仕事だからこそ感謝ができる
感謝できるからこそ感激も大きい

ここで改めて…
是非期待して下さい
2018-08-20 00:59:10[439]


山王美術館にて
久々に山王美術館で藤田嗣治を観た
実に今年は藤田ファンにとっては
何とも当たり年だ
この後秋には京都で藤田嗣治と向き合うことになる

さて山王美術館はホテルモントレグラスミア大阪の22階の奥にある小さな美術館だ…
小さいけれど狭さは感じさせない
この特別な空間は僕のお気に入りのひとつでもある
実際ここで僕は藤田を何度も観た

藤田と静かに向き合う大切な時間
静けさに包まれて…
その中で僕は藤田と言葉を交わす
そうやって自分自身をも顧みる…
日本とは何か
日本人とは何か
創造とは何か
表現することの意味とは一体何か
これらの問いに具体的な答えはない
答えはこの場に求めてはいない
それは自然と湧き上がるものだ

藤田と向き合う
何とも僕にとっては贅沢なことだ
贅沢な空間
そして贅沢な時間
自分に与えられたこれらの贅沢…
ひとつひとつをしっかりと満喫す

贅沢は尽きない
2018-08-06 00:29:21[438]


かい人21面相
かい人21面相と聞いてそこで一般の人たちは何を彷彿するだろうか
一部は江戸川乱歩の推理小説か
また一部は妖怪や幽霊の名前か
そこまではまだいい
昭和59年を普通に生きていた人なら必ずある事件を思い出す
それは「グリコ?森永事件」だ
かい人21面相はそこに登場した社会に対する知能的挑戦者だった…

僕はここで事件の概要を説明したい訳ではない
また警察の初動捜査を非難したい訳でもない
むしろ自らの組織のトップを銃撃される失態を犯した警察に大きな期待を抱く方がどうかしている

僕があの事件に衝撃を覚えるのは犯人の乱暴かつ緻密かつ綿密さだ
乱暴な犯罪者はどこにでもいる
実は誰でもよかったとほざくエセ異常者も必ず相手を選んでいる
自分より弱いもの
自分より小さいもの
暴力団関係者への襲撃は行わない
乱暴な犯罪者もまた稚拙で脆弱な知性で生きている

しかしかい人21面相はエセとは違う
社会というとてつもない魔物のような組織に対して果敢に戦いを挑んだ
乱暴のように見えてその計画性はまさに極めて知的だといえる
いや乱暴さもまたひとつのカモフラージュだったのかもしれない
そうなるとあのキツネ目の男の存在もカモフラージュのひとつに過
ぎなかったのか…
僕はかい人21面相とキツネ目の男は別の存在だと思われてならない
かい人21面相がそうやすやすと素顔をさらすだろうか
犯人が複数人だったという説もある
しかし裏切りやチクリを好む日本人独特の集団的寄合的性質にはそれは当てはまらない
むしろ複数人の場合はそこは徹底したタテ組織だろう
知性ある者は個に徹し孤に徹する
そこに十分な思索の時間を加えることで緻密さと綿密さはさらに研ぎ澄まされていく
単独であれ複数であれ犯人はカリスマ性をも備える人物に違いない

捜査側の問題にも触れておこう
犯人を複数に見立てたのはなぜか
個人を見縊り過ぎたのではないか
個人の力を脆弱とするのは間違いだ
現に警察組織もまた強大で盤石では決してなかった
固定的観念や概念やあらゆる欲が入り込んだ瞬間から組織は個人以上に脆弱化していく
そしてマンネリへ
結局事件は時効を迎えたのだった

かい人21面相がまだどこかで生きているなら次のことを考えるか
そうなれは犯人はただのそこいらの愉快犯に過ぎない
そして同時にその知性もまた完全に吹っ飛んでしまう

警察を翻弄したあのかい人21面相
しかしあれ程上手く翻弄された例もまた珍し過ぎる…
警察はかい人21面相を知っていた

そしてかい人21面相もまた警察を知っていたとすれば
これはあくまでも僕の身勝手な推理に過ぎないのだが
その意味で…
やっぱり僕は犯人の知性にはまだまだ及んでないのかもしれない
2018-07-17 07:00:02[437]


岡本綺堂
怪談とくれば先ずは思い浮かぶのがラフカディオ・ハーンだろう
身体がカチカチと震える程の語り

日本の風土と人間の情念とがに糸のように絡み合う
よってそこに対する興味と共に怖
さもまた倍増する

ハーンもいいが僕はどちらかというと岡本綺堂派だ
読み手を引き込む際どさは凄い…
やはりここにも日本の風土が静かに漂うとともに、更に人間の情念が絡み合っていく

怪談は誰にでも書けるものではない
読了後の余情がどこまで続くか
そこは作者の腕の見せどころだ…
加えて悲惨さや陰惨さなどは怪談には特に必要ない
残念ながら僕の場合はどうしてもなぜかそこへと立ち入ってしまう
まだまだ本格的な怪談創作への修行は足りていない

最近久しぶりに岡本綺堂を読み直す機会に恵まれた
読み進めていくうちに時代を違えた風物が次々と姿を表してくる…
そこに人間の持つ強い執着心とくればその魅力は実に満載となる…

季節は夏
怪談も夏
夏にしか味わえない情感があって
もいい
季節の中での情感
それを表現する…
そこが日本文学の素晴らしさなのだ
2018-07-02 11:29:06[436]