乃木希典は僕が敬愛して止まない人物のひとりだ…
彼を語るのに殉死は欠かせない
ではなぜ殉死するに至ったのか
その過程にこそ彼の魅力が満載していると考える…
西南戦争で軍旗を薩摩軍に奪取されるという軍人としての大失態
これは乃木希典にとって人生の咎
となった事件だ…
同時にそれは乃木希典を乃木希典足り得る人物へと仕立てるべき事件でもあったのだ
人生にはそれぞれ必ず転機がある
…
それを自らに引き寄せ糧とするか
、或いは簡単に放逐してしまうか
、転機はその後の生き方を変える
…
そしてまた人格をも変えてしまう
乃木希典にとって失態は糧となり
責任となって自らを戒めとした
そして殉死はその帰着点であった
僕は中央乃木会の会員でもある
港区にある乃木神社にも参拝した
…
もちろん恐れ多くも乃木希典の精神を受け継ぐといった気持ちは僕には微塵もない…
僕が惹かれるのは責任を全うするという生き方だ…
責任から逃れる…
そうした弱さを戒める意味においても乃木希典への敬愛は十分に意義深いと考える
最近は責任という言葉が余りに宙に浮き過ぎなのではないだろうか
…
政治家も官僚も経営者も誰も彼も簡単に責任という言葉を発する
但し腹を切る覚悟など実際はこれっぽっちもない
覚悟がないのなら口から出まかせに責任などとほざく必要はない
その分だけいやそれ以上に人間としての付加価値が下がってしまう
というよりもそういう人間には元
価値などはないのかもしれない
司馬遼太郎は乃木希典を嫌った
人物評価は嗜好と同等なのだからそれもあり得る
それはそうだ…
司馬史観に乃木希典の精神はやはり相容れない
それは百も承知
だから乃木希典を知る為の一冊に敢えて司馬遼太郎の『殉死』は挙げないでおこう
『乃木希典』
松下芳男
吉川弘文館
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