MyBlog Ver1.40



甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


■公式ホームページ


吐き気一考察
『嘔吐』
J-P?サルトル
人文書院

実存主義とは何か
また人生とは何か…
現代文学の古典といわれる本著…
サルトルを知る上でも必携必読の小説であることは言うまでもない

だがしかしである
本著を読破するにはそれ相応の忍耐と労力が必要だ
このことだけははっきりしている


僕がこの作品を手に取ったのは山崎正和氏のある論文に起因する
樹木の奇怪な根…
その非日常たる現実にロカンタンは吐き気を覚える
一体全体この吐き気とは何なのか


「吐き気」は本著を貫くひとつの用語となっている
しかし僕たちが普段経験している吐き気とは明らかに一線を画す
それは嫌悪なのか
それは恐怖なのか
それは敵意なのか
ロカンタンの精神は人間の持つあらゆる抗いの心情に通じている
不条理とは人間の内部と事物という外部との強い駆け引きを意味するのではないか…
人間の内面が不条理なのではない

はたまた事物の外部が不条理という訳でもないのだ
人間と事物が対峙する時に起こる人間の側の精神構造上の現象…
そう考えると一応納得はできる
但しサルトル側からの批判は当然にあるだろうが…

今世紀最大の小説
僕にとってはあらゆる意味で今世
紀最大の謎でもある
但しそれもまたいい
2022-01-05 07:36:49[515]


知恵と勘
『あの日を刻むマイク』
武井照子
集英社

本の購入にきっかけを与えるのは僕の場合は新聞やネットの書評だ

もちろんその全てを鵜呑みにする訳にはいかない…
どこまでそれを参考にするのかについては知恵を絞り勘を働かせる

本書はその典型…
放送に携わる者が戦争と敗戦という時代の変遷をどう捉えたのか
僕の最大の興味はそこにあった

本書は僕の期待を完全に裏切った

しかも巧みにだ…

ここには時代を見据えたまっ正直な視線があった…
放送に携わる人間としての誠実さが滲み出ていた

放送の威力は想像以上に凄まじい

特にラジオは言葉とそれを発する者との関係が聴く側によって勝手に紡がれていく
それは時に人格の創造にまで及ぶ

一生忘れ得ぬ言葉もまた時にラジオから発せられることさえある

本書は単なる個人の自伝ではない

大正に生まれ昭和を経て平成へ
そして令和へ…
言葉を発する側の時代を見据えながらの苦悩と喜びの心境が見事に描写されている

書評も当てにならないし知恵も勘も時にはぶれる…
だから出会いは止められないのだ

人間とも本とも
2021-12-20 07:44:22[514]


精神主義の成れの果て
『八甲田山死の彷徨』
新田次郎
新潮社

何か具体的に調べものをしようとした訳ではない…
大東亜戦争時における日本の軍部を掘り下げようとした場合に必然と起こり得ること
それは明治における軍のあり方…
特に日露戦争とその前後を単純に知りたいと思った
資料はかなりある
だからこそ取っ掛かりが欲しい
八甲田山の訓練行軍は素人向きでとても分かり易い

結論だけを言う…
明治も大正も昭和も令和に至って
も日本人の性根は何ら変わらない

確証のない精神論が常に真ん中にあり続けている
そして合理主義を冷ややかなる物として侮蔑する

ではと居直る…
精神主義が真に日本人に平和と幸福をもたらせたことがあるのか
敗戦という屈辱は精神主義による最も顕著な結末ではなかったか
敗戦の屈辱を終戦の記念するまやかしも歴史への冒涜ではないか
精神主義を持ち上げながら自己卑下を良しとするその矛盾は何か
だから日本人はまともな外交が未だ達成できない…

八甲田山死の彷徨は軍部が招いた愚策でありその責任は極めて重い

しかし責任はどこかに吹っ飛ばす

これもまた変わらない日本人の姿そのものだろう

明治から何も変わらない日本人
だから政府も政治も変わらない
それを伝統というのは耄碌爺の馬鹿げた戯言でしか過ぎないのだ
2021-12-06 07:59:17[513]


大川周明
『日本二千六百年史』
大川周明
毎日ワンズ

大川周明という人物は天才か否か

天才と気狂いは紙一重ともいう
天才は独自の思想を持ち得る…
しかし気狂いにそれが可能かどうかについては議論する余地は十分にあるのだと思う

最初の問いに戻る
大川周明は天才か
僕なりの結論をここで言おう…
彼はやはり天才に違いないと思う

大川周明といえば…
極東軍事裁判で東條英機の頭を後方から叩いた人物
例の行為そのものはとてもよく知られるところだ…
しかし彼は紛れもなくれっきとした思想家である…
東京大学ではインド哲学を専攻
卒業後は拓殖大学教授等を歴任
コーラン全文翻訳
アジア主義者かつ国家主義者…
五?一五事件に連座しての服役…
戦後はA級戦犯に指定されるも精神疾患を理由に免訴され釈放される

思想家としての顔だけではない
かれは実践主義者でもあった…

大川周明が自らの活動の集大成として世に問うたのものが本書…
『日本二千六百年史』

もちろん賛否は様々にあろう…
しかし僕は批判的な立場に自分の身を置くつもりなど決してない
それはここに日本人としての気骨を感じないではいられないからだ

日本人の気骨…
それをわからず屋の馬鹿どもはすぐに軍国主義と結びつけたがる
軍国主義ではない
自らの国を自らが守るという精神

それが気骨なのだ

と僕が叫んでも何も変わらない
朽ちた人間には通じないのだから
2021-11-22 07:44:57[512]


清国?日本
『シュリーマン旅行記』
ハンイリッヒ?シュリーマン
講談社学術文庫

兎にも角にも…
いかにもいかにもこれは余りに実直な紀行文である
清国と日本を旅したシュリーマン

1865年のことだ
特に顕著なのは…
日本よりも清国についての記述だ

人間は早々には変わりようがない

同時に国柄もまた全く持って変わらないものである
シュリーマンの実直さがものの見事に表れている…
日本もまた同じだ
日本は当時と何ひとつ変わらない

いや変わりようがないのだろう
静粛かつ<がさつ>
渦巻く妬みと嫉み
取り繕う世間体…
日本はやはり日本
清もまた清なりだ
シュリーマンのいう日本文明論はやはり必読だろう
恐れ入りました…
そうシュリーマンにいう他はない
2021-11-08 07:59:37[511]


シベリア大地
『シベリア最深紀行』
中村逸郎
文春文藝ライブラリー

シベリアの名を聞いて最初に頭に思い浮かべること
良識と見識の両方備わった日本人ならやはりシベリア抑留となる

しかし良識や見識も超えたところに不思議な魅力と魔力が見え隠れすることもある…
本書はそんなシベリアを宗教と民族を通して解き明かそうとする

シベリアはソ連でもなかったしロシアでもなかった
そこは元来がシベリアという果てしない大地だった
そこには生活があり文化があった

ソ連もロシアも本来のシベリアを知らなかったし今も知らないはずだと著者はいう…
そこはもはや国益という金と欲が巡り巡る場なのだ
それでも失われないものがある
そこには今もなお人々の生活があり文化があり祈りの場がある…

独りよがりになりがちな紀行文を通して先入観を払い除いていく
本書はその役割を十分に果たしてくれる
2021-10-18 07:14:07[510]


乃木希典
乃木希典は僕が敬愛して止まない人物のひとりだ…
彼を語るのに殉死は欠かせない
ではなぜ殉死するに至ったのか
その過程にこそ彼の魅力が満載していると考える…

西南戦争で軍旗を薩摩軍に奪取されるという軍人としての大失態
これは乃木希典にとって人生の咎
となった事件だ…
同時にそれは乃木希典を乃木希典足り得る人物へと仕立てるべき事件でもあったのだ

人生にはそれぞれ必ず転機がある

それを自らに引き寄せ糧とするか
、或いは簡単に放逐してしまうか
、転機はその後の生き方を変える

そしてまた人格をも変えてしまう

乃木希典にとって失態は糧となり
責任となって自らを戒めとした
そして殉死はその帰着点であった

僕は中央乃木会の会員でもある
港区にある乃木神社にも参拝した

もちろん恐れ多くも乃木希典の精神を受け継ぐといった気持ちは僕には微塵もない…
僕が惹かれるのは責任を全うするという生き方だ…
責任から逃れる…
そうした弱さを戒める意味においても乃木希典への敬愛は十分に意義深いと考える

最近は責任という言葉が余りに宙に浮き過ぎなのではないだろうか

政治家も官僚も経営者も誰も彼も簡単に責任という言葉を発する
但し腹を切る覚悟など実際はこれっぽっちもない
覚悟がないのなら口から出まかせに責任などとほざく必要はない
その分だけいやそれ以上に人間としての付加価値が下がってしまう
というよりもそういう人間には元
価値などはないのかもしれない

司馬遼太郎は乃木希典を嫌った
人物評価は嗜好と同等なのだからそれもあり得る
それはそうだ…
司馬史観に乃木希典の精神はやはり相容れない
それは百も承知
だから乃木希典を知る為の一冊に敢えて司馬遼太郎の『殉死』は挙げないでおこう

『乃木希典』
松下芳男
吉川弘文館

こちらを挙げる
2021-10-04 07:00:29[509]


ロシア文学
ここ最近のこと…
ロシア文学を読み漁っている…

その直接の契機となったのは実はサガレンにある
サガレンとは樺太のことを指す…

先ずは宮沢賢治からサガレンへ
そしてサガレンからロシア文学へ

文学は読書はある意味旅でもある

文学作品を通してロシアの歴史をゆっくり旅する…
読書とは何と優雅なものだろう

まずゴーリキーは岩波文庫による短篇集を読んだ…
ゴーリキーといえばサハリン紀行『サハリン島』がよく知られる
短篇集にも同類の作品が収録されていて興味深い…
日本人が旅する場としては稀有な所である樺太…
不思議な郷愁を抱いてしまうのもゴーリキーの筆の良さであろう

トルストイの文体にも惹かれた
『復活』は描写が緻密過ぎて億劫するところが無い訳ではない…
視点人物がその都度入れ替わる
その巧みさもある意味特徴的だ
当時のロシア人の気質や習慣についての細かい記述も興味深い…
ここでの専制的警察国家ロシアについての描写は、ソルジェニーツィンによる作品『イワン?デニーソブィチの1日』や『収容所群島』へと繋がっていく…
ロシアの現実を批判したトルストイとソビエトを徹底暴露したソルジェニーツィン…
ロシアとソビエトの国家の体制の闇が見えてくる…

ツルゲーネフの『父と子』もまた1840年当時のロシアの風土が巧みに描写されている
現実主義と理想主義の徹底的対峙

理想とは現実の悲惨的かつ悲観的状況から生み出されるものだ…
理想主義を夢想家として取り扱う一方でそこに新たな希望を見出さざるを得ない実情
ロシアの歴史の一端に触れる…
ツルゲーネフに限らず文学の果たす役割とその功績は実に偉大だ

日本を出発する…
ロシアを旅する…
旅は実に壮大だ
何を今更と言われる御方も多分居られるに違いない
読書で旅をする…
時にこういう情緒があってもいい
2021-09-20 01:06:57[508]


須賀敦子観
須賀敦子のことはここでも何度も書いたことがある
河出書房刊の全集も手元に揃えた

大竹昭子氏の著作
松山巌氏の著作…
その他須賀敦子に関わるものは全て網羅し読破した
それでもその世界は余りに深遠過ぎて終わりがない

須賀敦子に最も惹かれるのはその類まれな文学性だ
そしてその背後に構える信仰についての捉え方になる

抽象的な神への崇敬ではなくそれを現実にどのように活かすべきか

活かすことは信仰を基とした具体的な活動に繋がる
それは時に慈善事業でもあり自らの文学を実践することでもある

そもそも盤石な信仰生活など本当にあるのだろうか
僕はないと思う…
信仰とは元々が脆弱故に育まれていくものではないか
須賀敦子はそうした自己分析を徹底的に行った人物だったと思う

須賀敦子を何度も読み直してみる

イタリアから日本
日本からイタリア
見方によればそれらは不完全で消化不良な旅路のようにも思える
しかし完全無欠な人生などない
そして完全無欠な信仰もまたない

ないからこそ求道を怠らない…
では求道とは何か
須賀敦子を読むことの意義はそれを知ることにある
2021-08-30 00:29:05[507]


フォト?ドキュメンタリー
『朝鮮に渡った「日本人妻」』
林典子
岩波書店

少々意図があって…
初めて自分専用のカメラを持った

「Canon EOS RP」
その意図に人の撮影は含まれない

それ故に逆にフォト?ドキュメンタリーという表題に強く惹かれた

北朝鮮を撮影する…
しかもそこにいる日本人妻を撮る

何故にかと思うのは当然だろう

プロカメラマンの画は素晴らしい

先ずは目的が明確だ
そこに文章が加わる
いや文字が添えられるといった方が適切かもしれない
画と文字が無理なくマッチする
北朝鮮の風景と情景
日本人妻の瞳と視線
政治色は自然と排されて人間が豊かに鮮やかに浮かぶ

本書を手にした理由は他にもある

北朝鮮への帰国事業
本書への期待はそれらについての参考文献を知ることにもあった
1983年生まれの若い著者が帰国事業を知る上で何を依拠したのか
ドキュメンタリーは借り物のフィクションではない…
あってはいけない…

僕がカメラを持つに至った経緯…
これは今は割愛することにする
兎にも角にもだ…
宝の持ち腐れになってはいけない

などと自分に言い聞かせている
2021-08-16 12:16:06[506]