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甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


■公式ホームページ


根来寺初入山
覚鑁を辿って和歌山県岩出市にある根来寺へと初めて足を運んだ
根来寺は新義真言宗の本山として知られる

その創建が覚鑁になる

弘法大師空海の名を知らない人はいない…
しかし覚鑁の名を知る人は意外に少ない

空海がまさに王道中の王道とするならば、覚鑁はアウトロー的存在となるのだろうか

或いは高野山金剛峯寺が修業の場ならば、
根来寺はむしろ学びの場となるのかどうか

いずれにしても覚鑁は金剛峯寺を離れて、麓に程近い岩出の地に根来寺を創建した

根来寺の伽藍の配置は極めて簡明である
その単純ともいえる構図は訪れる者に不思議な安心感と静寂さと神妙さを与える…

根来寺で忘れてならないもののひとつは平家物語との関係だろう

「延慶本平家物語」

写本はここ根来寺で行なわれたとされる
延慶本は平家物語の数々の写本の中でも永く異形なもの扱われ、実のところ知る人ぞ知る存在でもあった
しかしながら最近ではその歴史的な価値が見直されてきている

覚鑁も然り
延慶本平家物語も然り
そして根来寺もまた同じく然りである…
覚鑁に係る研究書類もひとまず入手した
大東急記念文庫蔵の延慶本平家物語(写し)についても購入をした
そして根来寺訪問…

ではなぜ覚鑁であり、そして延慶本であり
、なぜ根来寺なのか

ここはまだまだ暫くは内緒にしておきたい
2022-03-07 00:14:17[519]


日本教とは…
日本教といえば山本七平…
山本七平とくれば日本人論
日本教に日本人論は欠かせない…
そして山本七平も欠かすことはできない…

回りくどい等式は止めにして本題に入る

ここ最近は日本人とは何かを妙妙と考えさせられる出来事が重なった
但し考えるとはいっても腕を組むような加減の程でもない
極めて普通ではある

細かいことは止して大雑把にいってみたい

奇怪で奇妙なワクチン
総括不明な数々の政策
思考停止中の暴走老人
抑止不能な超過激中年
猫様よりも猫背の若者

これらは日本教を深く信仰して止むことのない信者たる日本人の生体である

皆で打とうよ ワクチンゴーゴー
再び出ました マンボーセンゲン
踏み間違えた いやいや車が悪い
殺った者勝ち 後は死刑か自殺か
スマホ大好き 正面衝突大大歓迎

ある方は日本教は変貌したという
そして信者もまた劣化したという
それも然りだろう

しかし日本教は殆ど変わってはいない
日本人もまた進化など遂げてはいない

見えなかったものが見える
見えるものが余計に見える
忍耐強い集団主義と中途半端な個人主義が混在すると隠れていたものが表面化する

地方の人間を悪く言うつもりはない
しかし良くも言わない
彼らと話すと実によく分かる…
彼らの集うムラは堅固なままだ
変化を好まず
同一を良しとす
変化を恐れる
よそ者を悪とす
しかし妬みと嫉みは凄まじい
都会への憧れは富士山以上だ
都会の日本教信者が愚かな改革派ならば、地方の信者は賢く従順な保守派となろう
しかも保守派信者はミイラとなって自らが信仰母体となることまで願う

日本教は変わらない
日本人も変わらない
日本教の原典である妬みと嫉みとほくそ笑みと陰口と群れの教えも変わらない
2022-02-21 06:29:12[518]


言葉とは何か
『最期の言葉の村へ』
ドン?クリック
原書房

タヤップ語とは…
これはパプアニューギニアのガプン村で話されていた言語を指す
著者は実際にその村に滞在して、
村の老人からタヤップ語を学ぶ…
そして消滅危機にさらされていたタヤップ語の文法書を出版した

言語学と人類学を修めた著者のタヤップ語への執着は実に凄まじい

その背景には言語の消滅という、謂わば文明とは余りにもかけ離れた現象への遭遇が起因している

親から子へ
子から更に子へ…
この継承が言語を言語足らしめ、
使われる言語の源泉になり得る
なるほどと思う…

言語が廃れる理由もまた明快だ
タヤップ語は西欧文明の介入が各たる理由とする…
文明が言語を継承せしめる一方で逆に消滅せしめる要因にもなる

一体全体文明とは何なのか
こと西欧文明とは何であるのか
更には人間は如何なる存在なのか

言語を通して今ある我々自身を問いの対象とする…
本書の究極の読み処はそこにあるような気さえする
2022-02-07 08:36:15[517]


徹底再現プロジェクト
『サピエンス日本上陸』
海部陽介
講談社

好奇心は人を突き動かす原動力だ

クロマニョン人に抱いた強い嫉妬

人類進化学者である著者は少年の心を絶やさない…

著者は日本列島を次のように見る

「人類最古段階での海洋進出の舞台のひとつ」だと

ではホモサピエンスはどのようにして日本列島に辿り着いたのか
それを再現する…
先ずは時を3万年前に遡らせる
舟をこしらえる
こしらえた舟を海に出す
そして漕ぐ
だが失敗の連続…
それでも決して諦めない

好奇心からプロジェクトへ
机上の屁理屈に留まることない執念が行間に滲み出る

教科書の枠からはみ出よう
既存の学説から離脱しよう
当然ながらフィールドワークに勝るものはない
2022-01-17 07:44:12[516]


吐き気一考察
『嘔吐』
J-P?サルトル
人文書院

実存主義とは何か
また人生とは何か…
現代文学の古典といわれる本著…
サルトルを知る上でも必携必読の小説であることは言うまでもない

だがしかしである
本著を読破するにはそれ相応の忍耐と労力が必要だ
このことだけははっきりしている


僕がこの作品を手に取ったのは山崎正和氏のある論文に起因する
樹木の奇怪な根…
その非日常たる現実にロカンタンは吐き気を覚える
一体全体この吐き気とは何なのか


「吐き気」は本著を貫くひとつの用語となっている
しかし僕たちが普段経験している吐き気とは明らかに一線を画す
それは嫌悪なのか
それは恐怖なのか
それは敵意なのか
ロカンタンの精神は人間の持つあらゆる抗いの心情に通じている
不条理とは人間の内部と事物という外部との強い駆け引きを意味するのではないか…
人間の内面が不条理なのではない

はたまた事物の外部が不条理という訳でもないのだ
人間と事物が対峙する時に起こる人間の側の精神構造上の現象…
そう考えると一応納得はできる
但しサルトル側からの批判は当然にあるだろうが…

今世紀最大の小説
僕にとってはあらゆる意味で今世
紀最大の謎でもある
但しそれもまたいい
2022-01-05 07:36:49[515]


知恵と勘
『あの日を刻むマイク』
武井照子
集英社

本の購入にきっかけを与えるのは僕の場合は新聞やネットの書評だ

もちろんその全てを鵜呑みにする訳にはいかない…
どこまでそれを参考にするのかについては知恵を絞り勘を働かせる

本書はその典型…
放送に携わる者が戦争と敗戦という時代の変遷をどう捉えたのか
僕の最大の興味はそこにあった

本書は僕の期待を完全に裏切った

しかも巧みにだ…

ここには時代を見据えたまっ正直な視線があった…
放送に携わる人間としての誠実さが滲み出ていた

放送の威力は想像以上に凄まじい

特にラジオは言葉とそれを発する者との関係が聴く側によって勝手に紡がれていく
それは時に人格の創造にまで及ぶ

一生忘れ得ぬ言葉もまた時にラジオから発せられることさえある

本書は単なる個人の自伝ではない

大正に生まれ昭和を経て平成へ
そして令和へ…
言葉を発する側の時代を見据えながらの苦悩と喜びの心境が見事に描写されている

書評も当てにならないし知恵も勘も時にはぶれる…
だから出会いは止められないのだ

人間とも本とも
2021-12-20 07:44:22[514]


精神主義の成れの果て
『八甲田山死の彷徨』
新田次郎
新潮社

何か具体的に調べものをしようとした訳ではない…
大東亜戦争時における日本の軍部を掘り下げようとした場合に必然と起こり得ること
それは明治における軍のあり方…
特に日露戦争とその前後を単純に知りたいと思った
資料はかなりある
だからこそ取っ掛かりが欲しい
八甲田山の訓練行軍は素人向きでとても分かり易い

結論だけを言う…
明治も大正も昭和も令和に至って
も日本人の性根は何ら変わらない

確証のない精神論が常に真ん中にあり続けている
そして合理主義を冷ややかなる物として侮蔑する

ではと居直る…
精神主義が真に日本人に平和と幸福をもたらせたことがあるのか
敗戦という屈辱は精神主義による最も顕著な結末ではなかったか
敗戦の屈辱を終戦の記念するまやかしも歴史への冒涜ではないか
精神主義を持ち上げながら自己卑下を良しとするその矛盾は何か
だから日本人はまともな外交が未だ達成できない…

八甲田山死の彷徨は軍部が招いた愚策でありその責任は極めて重い

しかし責任はどこかに吹っ飛ばす

これもまた変わらない日本人の姿そのものだろう

明治から何も変わらない日本人
だから政府も政治も変わらない
それを伝統というのは耄碌爺の馬鹿げた戯言でしか過ぎないのだ
2021-12-06 07:59:17[513]


大川周明
『日本二千六百年史』
大川周明
毎日ワンズ

大川周明という人物は天才か否か

天才と気狂いは紙一重ともいう
天才は独自の思想を持ち得る…
しかし気狂いにそれが可能かどうかについては議論する余地は十分にあるのだと思う

最初の問いに戻る
大川周明は天才か
僕なりの結論をここで言おう…
彼はやはり天才に違いないと思う

大川周明といえば…
極東軍事裁判で東條英機の頭を後方から叩いた人物
例の行為そのものはとてもよく知られるところだ…
しかし彼は紛れもなくれっきとした思想家である…
東京大学ではインド哲学を専攻
卒業後は拓殖大学教授等を歴任
コーラン全文翻訳
アジア主義者かつ国家主義者…
五?一五事件に連座しての服役…
戦後はA級戦犯に指定されるも精神疾患を理由に免訴され釈放される

思想家としての顔だけではない
かれは実践主義者でもあった…

大川周明が自らの活動の集大成として世に問うたのものが本書…
『日本二千六百年史』

もちろん賛否は様々にあろう…
しかし僕は批判的な立場に自分の身を置くつもりなど決してない
それはここに日本人としての気骨を感じないではいられないからだ

日本人の気骨…
それをわからず屋の馬鹿どもはすぐに軍国主義と結びつけたがる
軍国主義ではない
自らの国を自らが守るという精神

それが気骨なのだ

と僕が叫んでも何も変わらない
朽ちた人間には通じないのだから
2021-11-22 07:44:57[512]


清国?日本
『シュリーマン旅行記』
ハンイリッヒ?シュリーマン
講談社学術文庫

兎にも角にも…
いかにもいかにもこれは余りに実直な紀行文である
清国と日本を旅したシュリーマン

1865年のことだ
特に顕著なのは…
日本よりも清国についての記述だ

人間は早々には変わりようがない

同時に国柄もまた全く持って変わらないものである
シュリーマンの実直さがものの見事に表れている…
日本もまた同じだ
日本は当時と何ひとつ変わらない

いや変わりようがないのだろう
静粛かつ<がさつ>
渦巻く妬みと嫉み
取り繕う世間体…
日本はやはり日本
清もまた清なりだ
シュリーマンのいう日本文明論はやはり必読だろう
恐れ入りました…
そうシュリーマンにいう他はない
2021-11-08 07:59:37[511]


シベリア大地
『シベリア最深紀行』
中村逸郎
文春文藝ライブラリー

シベリアの名を聞いて最初に頭に思い浮かべること
良識と見識の両方備わった日本人ならやはりシベリア抑留となる

しかし良識や見識も超えたところに不思議な魅力と魔力が見え隠れすることもある…
本書はそんなシベリアを宗教と民族を通して解き明かそうとする

シベリアはソ連でもなかったしロシアでもなかった
そこは元来がシベリアという果てしない大地だった
そこには生活があり文化があった

ソ連もロシアも本来のシベリアを知らなかったし今も知らないはずだと著者はいう…
そこはもはや国益という金と欲が巡り巡る場なのだ
それでも失われないものがある
そこには今もなお人々の生活があり文化があり祈りの場がある…

独りよがりになりがちな紀行文を通して先入観を払い除いていく
本書はその役割を十分に果たしてくれる
2021-10-18 07:14:07[510]