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甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページモバイルにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


■オフィシャルページモバイル


山王美術館にて
久々に山王美術館で藤田嗣治を観た
実に今年は藤田ファンにとっては
何とも当たり年だ
この後秋には京都で藤田嗣治と向き合うことになる

さて山王美術館はホテルモントレグラスミア大阪の22階の奥にある小さな美術館だ…
小さいけれど狭さは感じさせない
この特別な空間は僕のお気に入りのひとつでもある
実際ここで僕は藤田を何度も観た

藤田と静かに向き合う大切な時間
静けさに包まれて…
その中で僕は藤田と言葉を交わす
そうやって自分自身をも顧みる…
日本とは何か
日本人とは何か
創造とは何か
表現することの意味とは一体何か
これらの問いに具体的な答えはない
答えはこの場に求めてはいない
それは自然と湧き上がるものだ

藤田と向き合う
何とも僕にとっては贅沢なことだ
贅沢な空間
そして贅沢な時間
自分に与えられたこれらの贅沢…
ひとつひとつをしっかりと満喫す

贅沢は尽きない
2018-08-06 00:29:21[438]


かい人21面相
かい人21面相と聞いてそこで一般の人たちは何を彷彿するだろうか
一部は江戸川乱歩の推理小説か
また一部は妖怪や幽霊の名前か
そこまではまだいい
昭和59年を普通に生きていた人なら必ずある事件を思い出す
それは「グリコ?森永事件」だ
かい人21面相はそこに登場した社会に対する知能的挑戦者だった…

僕はここで事件の概要を説明したい訳ではない
また警察の初動捜査を非難したい訳でもない
むしろ自らの組織のトップを銃撃される失態を犯した警察に大きな期待を抱く方がどうかしている

僕があの事件に衝撃を覚えるのは犯人の乱暴かつ緻密かつ綿密さだ
乱暴な犯罪者はどこにでもいる
実は誰でもよかったとほざくエセ異常者も必ず相手を選んでいる
自分より弱いもの
自分より小さいもの
暴力団関係者への襲撃は行わない
乱暴な犯罪者もまた稚拙で脆弱な知性で生きている

しかしかい人21面相はエセとは違う
社会というとてつもない魔物のような組織に対して果敢に戦いを挑んだ
乱暴のように見えてその計画性はまさに極めて知的だといえる
いや乱暴さもまたひとつのカモフラージュだったのかもしれない
そうなるとあのキツネ目の男の存在もカモフラージュのひとつに過
ぎなかったのか…
僕はかい人21面相とキツネ目の男は別の存在だと思われてならない
かい人21面相がそうやすやすと素顔をさらすだろうか
犯人が複数人だったという説もある
しかし裏切りやチクリを好む日本人独特の集団的寄合的性質にはそれは当てはまらない
むしろ複数人の場合はそこは徹底したタテ組織だろう
知性ある者は個に徹し孤に徹する
そこに十分な思索の時間を加えることで緻密さと綿密さはさらに研ぎ澄まされていく
単独であれ複数であれ犯人はカリスマ性をも備える人物に違いない

捜査側の問題にも触れておこう
犯人を複数に見立てたのはなぜか
個人を見縊り過ぎたのではないか
個人の力を脆弱とするのは間違いだ
現に警察組織もまた強大で盤石では決してなかった
固定的観念や概念やあらゆる欲が入り込んだ瞬間から組織は個人以上に脆弱化していく
そしてマンネリへ
結局事件は時効を迎えたのだった

かい人21面相がまだどこかで生きているなら次のことを考えるか
そうなれは犯人はただのそこいらの愉快犯に過ぎない
そして同時にその知性もまた完全に吹っ飛んでしまう

警察を翻弄したあのかい人21面相
しかしあれ程上手く翻弄された例もまた珍し過ぎる…
警察はかい人21面相を知っていた

そしてかい人21面相もまた警察を知っていたとすれば
これはあくまでも僕の身勝手な推理に過ぎないのだが
その意味で…
やっぱり僕は犯人の知性にはまだまだ及んでないのかもしれない
2018-07-17 07:00:02[437]


岡本綺堂
怪談とくれば先ずは思い浮かぶのがラフカディオ・ハーンだろう
身体がカチカチと震える程の語り

日本の風土と人間の情念とがに糸のように絡み合う
よってそこに対する興味と共に怖
さもまた倍増する

ハーンもいいが僕はどちらかというと岡本綺堂派だ
読み手を引き込む際どさは凄い…
やはりここにも日本の風土が静かに漂うとともに、更に人間の情念が絡み合っていく

怪談は誰にでも書けるものではない
読了後の余情がどこまで続くか
そこは作者の腕の見せどころだ…
加えて悲惨さや陰惨さなどは怪談には特に必要ない
残念ながら僕の場合はどうしてもなぜかそこへと立ち入ってしまう
まだまだ本格的な怪談創作への修行は足りていない

最近久しぶりに岡本綺堂を読み直す機会に恵まれた
読み進めていくうちに時代を違えた風物が次々と姿を表してくる…
そこに人間の持つ強い執着心とくればその魅力は実に満載となる…

季節は夏
怪談も夏
夏にしか味わえない情感があって
もいい
季節の中での情感
それを表現する…
そこが日本文学の素晴らしさなのだ
2018-07-02 11:29:06[436]


妖精
イエイツによる『ケルト妖精物語
』を初めて読んだ
司馬遼太郎のアイルランド紀行がそのきっかけだ…

妖精とは一体何か…
それを迷信だとか伝説だとかのレベルで片付けてしまうのは残念だ
妖精は生きている
確かに生きている
それは人々によって生きている…
神話の神々が今もまだどこかで息づいているように…
妖精もまたどこかで生きている

妖精物語によって僕の中に妖精が生きることになった
これは大きな収穫だ
妖精は律儀だしきちんと約束を守る
日本の妖怪とはまた少し異なる
それはある意味ではアイルランドにおける倫理的な存在ということになるのだろうか
いずれにしても新しい感性なるものがこうした妖精によってもたら
されるとしたら…
それもまた意義深い
それに相当に失礼ながら妖精はかなりの超ド級のSだ
そんな妖精に親近感を抱く僕はやはり変なのだろうか
そんなはずはない
2018-06-18 06:52:10[435]


加西鶉野飛行場跡
先日初めて兵庫県加西市を訪ねた…
そして鶉野飛行場跡並びに今も残る施設を見学した
四年前から始めた「戦後を辿る旅
」の一環としてだ

鶉野飛行場はかつて姫路海軍航空隊基地のあった場所として知られる
白鷺隊と名付けられた特攻隊は、ここで兵を募り、鹿児島の串良基地から飛び立った
特攻隊…
海に沈んだ若者
今は英霊として静かに眠る

ボランティアスタッフの案内に従い、民家の下の防空壕も見学した
そこには未だ人の息遣いが残る…
生きるまたは生きようとする本能
、さらには何かを必死に守ろうとする執着と集中は、人に別の意味での新たな生命を吹き込んでいく


「戦後を辿る旅」は決して物見遊山などではない…
更には平和を祈るだけのお花畑ツアーなどでもない
それはまさに人間の究極の思いを肌で感じ取るもの
これが「戦後を辿る旅」の趣旨だ

スマホでゲームのイカれたサラリーマンやボンクラ学生には人間の生きる本能など分かるはずもない
活字に目を通さない無能派にももちろん理解されない
それでも歴史は決して嘘をつかない
人間を裏切ることもない
旅はまだまだ続いていく
2018-06-04 00:14:18[434]


兵庫県立美術館
ここ数年で色々な美術館を巡った
なかでも兵庫県立美術館は僕のお気に入りのひとつだ
なだらかな勾配を海に向かってゆっくりと降りていく
間もなく未知なる空間へ…
そんな期待から徐々に膨らんでいく

途中にあるこじんまりとしたお店に立ち寄ってみる
昼は定食
夜は割烹風居酒屋
味はもちろんのことおもてなしの心意気が嬉しい…

当然のことながら美術館への道程は自宅を出発した時から始まる
それはもはや単なる過程ではない
全ての思惑が館内へ持ち込まれてしまうことになる

兵庫県立美術館で頂いた藤田嗣治展のポスターは我が家の家宝だ
たかがポスター
されどポスター
印象はそうやって受け継がれる

たかが美術館
されど美術館
では決してない
美術館は芸術を育てる
そして人間をも育てる
美術館とはそういう場所なのだ
2018-05-21 06:22:31[433]


与勇輝
人形作家与勇輝
作品は全て人形でありながらもはや人形ではない
京都高島屋で初めて展覧会を観た
そこには生き生きとした人間の息遣いがはっきりと聞こえた

彼を知ったのはひょんなきっかけだった
所ジョージの世田谷ベース
そして徹子の部屋
所氏は自分に似せた与作品を絶賛…
徹子の部屋では与氏本人が作品と共に出演していた

作品をこしらえる
それは文学であれ絵画であれ陶芸であれ生命を吹き込む作業に他ならない
与作品から響く生命の鼓動
ここにこそ感動の源がある

人形作家与勇輝
彼に生命を吹き込まれた作品
感動とは決して押し付けではない
自然であり必然であるがままでなければならない
その原点を僕は思った
2018-05-06 23:59:07[432]