MyBlog Ver1.2



甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページモバイルにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


■オフィシャルページモバイル


新刊長編のこと
再来月
新刊長編の出版が正式に決定した


「byebye-君が来た道 僕が行く道」

甲山の個人レーベル「まきば出版」からは4作品目の刊行となる

ここに至るまで…
執筆に5年掛けた
他作品の創作や翻訳と並行して…
紆余曲折を経つつも、一昨年にようやく脱稿
400字詰原稿用紙にして約500枚…
さらに昨年は諸々の作業や重ねての校正に追われた

「byebye-君が来た道 僕が行く道」

ひとつの作品が1冊の本となる行
程は楽しく苦しい
そこには創作者の思いだけではなく、関わる全ての人達の思いが連なる
楽しく苦しいからこそ形となる喜びはそれ以上に大きくなっていく

ここでの喜びは感謝を伴うものだ

本が芸術である所以はそこにある

「byebye-君が来た道 僕が行く道」

12年目の春…
僕の新たな出発がこのタイトルに込められている…
書くことはもはや単なる表現などではない…
それは生きる上での呼吸と変わらないものなのだ
2019-02-18 00:07:03[451]


J.D.マトリ訳本第二弾
マトリ氏といえば「日本的馬鹿者行動学」である…
はたまた「日本的馬鹿者行動学」とくれば何たってマトリ氏となる

あらかじめ記しておくがあくまでも訳者はこの僕だ
この本のおかげで僕のもうひとつ
の才能が発揮できたことは大変良かったとは思う…
しかし僕による僕自身の小説よりも評価が高かったことは複雑としか言いようはない

だから金輪際マトリ氏からの依頼は断るつもり………
そのはずだった…
確かにそうするはずだった
しかし気が付けばまた訳していた

マトリに惚れ込んだのは他でもない
実はこの僕だった
これは偽らない…
いや決して偽ってはならないこと
だと思う

今春再びあのマトリ本が出版されることになった…
教育者でもある彼
その彼が直接或いは間接に経験した日本の教育の問題点が今回の著作の中心的中身だ
教育問題こと学校教育を鋭く突く

いやいや抉ると言った方が適切だ

はっきり言う
これは実に面白い
だがしかし…
マトリ氏は次のように斬り込む…

現場に多く生息する寄生虫教師にはちっとも面白くもないだろう
それに…
毎年毎年同じことを繰り返すだけのボンクラ教師は全くもって腹立たしく感じるだろう
さらに…
組織にどっぷりたっぷり浸かった給料大泥棒かつ税金大盗人教師などは殺意さえ抱く可能性もある…
さらにさらに…
専門性も指導力もない馬鹿丸出しでしかもことあるごとに部活に逃避するからっぽ教師などによる集団テロの可能性も捨てきれない…
なぜか
それが事実だからだと…
そして何より
それが真実だからだと…
図星とはこういうこと他ならないと…

マトリ節は止まない

マトリ氏の新著書
甲山羊二訳による
僕の専用レーベルまきば出版から今春に刊行される
2019-02-03 23:59:31[450]


気になること
列車への飛び込み自殺が大流行している
煽りを食うのは敵わないが死にたいという欲求に勝るものはない
他にも死に方は色々あるはずなのだが昨今は専ら飛び込みだ
こういった右に倣えはいかにも日本人的で興味深い
死に方も右に倣え
生き方も右に倣え
思考も右に倣え…
島国根性はやはり随所に現れる…

細かいことを指摘すると最近の日本人の歩き方もかなり酷いと思う

突然停止する
突然割り込む
突然横切る
突然歩き出す
突然逆行する

他にもこんなのもある
左右自在通行
ながら通行
左右縦列通行

あれもこれもやはり昨今の流行だ


そういう意味でいくと僕は相当に時代の流行から遅れていると言える
歩き方はいたって普通
左右の認識もある
まだまだ脳は正常だ…

そうした他人の気になることを挙げればきりがない
いや、特に気になる訳でもない
他人のイカれた脳に興味もない
ただくだらないつまらない煽りは御免なだけなのだ
2019-01-21 11:00:17[449]


新作掌編のこと
新作掌編「NINGEN-safari」を全作家機関誌に発表した
タイトルからしてなかなか奇抜だ

内容はさておこう…

こういう作品を出すと必ず面白い批評がやって来る
いや馬鹿馬鹿しいと言った方が的を得ているだろう

「へちま夫人」という作品を発表した際にもあった
ある書き手がこれは包装紙以下の愚劣作品だとした
もちろん反論などは一切しない…
包装紙以下とはなかなか良く出来た比喩だと思う…
包装紙は例えばデパートなどではある意味において場の顔でもある

謂わば芸術に近い
僕の作品もやっと包装紙と比較されるようになった
ただし褒め言葉にも限度がある…
ここまで褒めることはなかろう
もちろん当人にその意思はない
こき下ろすつもりが褒めてしまっ
ているとは何事か
そういう批評は当人の知力のなさを見事に物語る…

「ネコノミクス」という作品についても同じようなことがあった
これもある書き手がギブアップと批評してくれた
何がギブアップなのか分からない
卒倒でもされたのか
病院に運ばれたのか
危篤になられたのか
作品を通して相手の生命を奪う意図は毛頭ない…
心配になって知人の弁護士に打ち明けたところ次のように言われた
もし相手が天に召されても殺人罪にはあたらない
こちらをヒヤヒヤさせる批評もまた品性に欠ける

さて新作の批評はどうだろうか
書き手ならちょっとはまともな文脈で理路整然と批評してもらいたい

もちろん返事はしない
反論など絶対にしない
他人の作品を批評したりもしない
そんな義理はない
義理と人情を量りにもかけない
両方必要はない…
2019-01-07 00:06:47[448]


京都にて
つい先日藤田嗣治を京都で観た…
去年もそうだが今年も何かと藤田にとても縁がある
これまで出会った作品と随分重複はしていたものの、改めて藤田嗣治の世界に没頭できたことはやはり嬉しい限りだ…
日本とフランス…
フランス人として死した藤田もやはり魂は日本人に他ならなかった

どれだけ日本人から酷く醜い仕打ちを受けようとも
日本を放逐仕切れなかった藤田…
三つ子の魂百までとはこれを言う

続いて草間彌生ともやっと対面を果たすことができた
場所は花見小路の祇園歌舞練場…
畳上で芸術鑑賞とは何とも粋だ…
兎にも角にも芸術表現は自由だ…
誰からどれだけ批判されようとも
、妥協と譲歩の賜物が芸術であってはやはりならない
去年偶然に地下鉄車内で会話したシンガポール人が、アジアで最も著名な芸術家は何といっても草間
彌生と話してくれた
その意味でも日本は芸術志向に未だ旧態依然の硬さがある気がする


同じ日に建仁寺にも立ち寄った…
俵屋宗達の風神雷神
そして法堂の双龍図
やはり本物は良い…
そして本物は真実を語ってくれる
偽物は当然いけない
人間についても然り
偽物はそれが顔にきちんと現れる

藤田嗣治 草間彌生 俵屋宗達
そして天井の双龍図
言葉を超越した世界
けれども言葉でないと伝えられないもどかしさがある
絵画と文学の世界…
同居と拮抗は続く
2018-12-17 06:59:36[447]


2018年
今年も間もなく終わる
光陰矢の如し…
最近は時間の経過が実に早い

僕は後ろを顧みない性分だが今年に限ってはその禁を破ることにする

今年は作品の発表を敢えて控えた

もちろん創作を止めたわけではない
普段にも増して書きまくったと言った方が正しい…
それでもやはり発表は控えた
それには相応の訳がある

今年はまた大量の本を読み漁った

一週間にほぼ二冊のペースで場所を構わず読んだ…
家の者も呆れ返る程の分量だ
それには相応の訳がある

創作を始めて11年
今年は記念すべき10周年
いやそんなことはどうでもいい…
書きたいものを書く時期は過ぎた

今度は書くべきものをきちんと書かなければ神様に申し訳がない
知的好奇心も同様
むしろ未知の世界に入る
知らないことの放置は無責任だ…
大人は無責任であってはいけない

読むという行為に係るエネルギーを使わないのも神様への背きだ

人間は笑わなければならない
人間は怒らなければならない
しかし些末な日常で簡単に笑ったり怒ったりするのは実に勿体無い


笑うべく笑う
怒るべく怒る
創作も同じだ
書くべく書く
読書も同じ…
読むべく読む

生きることは真人間のすること
ダラダラ生きては勿体無い
生きるべく生きる
考察と思索を欠かさない
知恵と知識はやはり賜物だ

来年は次々と作品を発表する
止めろと言われてもやる
読書も続ける
床が抜けてもやはり読む
生きることは覚悟も必要だ…
2018-12-03 06:59:29[446]


窃盗世代とその子供たち
学生の頃のことだ
スーパーのレジ打ちのバイトを半年ばかりやったことがある
レジには実に不特定のお客が多数やって来る訳だが…
中でも印象的だったのが子供連れの若い母親の言動

「この子が勝手にやったんです」

精算前であるにも関わらずお菓子のパッケージは既に子供によって
無残にも開封されてしまっている

そうした不始末をどの母親も決ま
って同じ台詞により誤魔化すのには随分驚かされた

親の目が働いていないはずはない
子供を叱れない親
叱られない子供…
窃盗は癖としてこの頃から既に身についていく訳だ

あの時の子供も今やそれなりに大人になっている…
年齢でいけば30代後半から40代前半にかけての範囲
僕が通勤途上でよく見かけるサラリーマン世代ということになる

そこで符合する…
彼らの子供たちが丁度10代半ば…
窃盗世代に育てられた若者がいる
スマホにイヤホン
スマホから目が離せない若者達…
窃盗世代もまた所業は変わらない
ホームからの転落や電車との接触などの事故は実はその大半は窃盗世代やその一味たちによるものだ

転落事故や接触事故は日常茶飯事
で時々僕もその目撃者になる訳だ

もちろん救いの手は差し伸べない
救うべき命か否か
ここは慎重かつ十分な議論による

更には…
ところ構わず食べ物を貪り食い散らすのもまた連中だ
実に下品極まりない

まだある
事故を起こしても直ぐに逃亡する
捕まれば今度は詭弁をのたまう
実に下等極まりない

「この子が勝手にやったんです」

やはりだ
これ程の名台詞を僕は知らない…

台詞を吐いた母親達はもはや老人

台詞を生み出したのと同等の知性で老後を過ごしているのだろう
気の毒と言えば確かに気の毒だ…

日本人は劣化した
それはさらに進んでいくのだろう
そうした歴史的変遷を見れるのもまた生きる上での糧となり得る

群れをなす窃盗世代とその子供達

実は彼らはお菓子を勝手に盗んだだけではなかった
彼らは日本から知性までも窃盗し
、延々とそれを放逐しているのだ
2018-11-19 07:07:17[445]