ああ言えばこう言え!Ⅱその25

 新たな作品を発表する度に実に奇妙な批評が舞い込んでくる。差出人は僕と同じ書き手だ。「へちま夫人」という作品を発表した際も、ある書き手が「これは包装紙以下の作品」と批評した。実によくできた比喩だ。包装紙といえば、例えばデパートなどでは、ある意味においてはそこの顔だ。いわば芸術のひとつだといえる。僕の作品もやっとその域に入ったのだ。ただし、褒め言葉にも限度がある。ここまで褒めることはなかろう。こき下ろすつもりが褒めてしまったとは何事であろう。そういう批評は批評する当人の知力の無さを見事に露呈しているといえるだろう。
 「ネコノミクス」という作品についても同じようなことがあった。ある書き手がギブアップと批評した。一体何がギブアップなのだろう。全く意味不明だ。卒倒でもされたのか。病院に運ばれでもしたのか。危篤になられたのか。もちろん、こちらには相手の生命を脅かす意図など毛頭ない。こちらをヒヤヒヤさせる批評もまた相当に品性にかけるものだ。
 何度も言うが、僕は批評にいちいち返事はしない。反論もしない。知力や品性に欠けた人間をわざわざ相手にする程に暇ではない。
 では、なぜこうしたことをわざわざ書くのか。
 答えは簡単だ。世の中には馬鹿者がいる。そんな奴は相手にしてはいけない。滅ぶのを待とう。その啓蒙に役立ててもらいたい。そのボランティア精神が僕を駆り立てるのだ。

甲山羊二